S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第9話: 勇者が帰ってこない

第1アーク · 5,009文字 · revised

◆グレイヴス大司教視点

王都ルミエール。聖教会の大聖堂。

高い天井からステンドグラスの光が降り注ぐ。赤、青、金——聖者たちの物語を描いた色硝子が、謁見の間を冷たく染めていた。

大司教グレイヴスは玉座に腰掛けたまま、報告書を見下ろす。

灰色の髪がステンドグラスの光に照らされる。鉄色の瞳が、紙面の文字を追う。

「——三週間」

低く、冷たい声が響いた。

「勇者パーティが魔王城に到達してから、三週間が経過した。連絡なし。帰還なし」

周囲に控える聖騎士たちが身じろぎする。

グレイヴスは視線を上げた。

「諸君は、どう考える」

沈黙。

誰も答えない。答えられない。

——勇者が、帰ってこない。

これまでの歴史で何度もあった。勇者が魔王城に到達し、そのまま消息を絶つことは。

だが。

「レオン、リーゼ、ガルド——三名とも、勇者選定の儀で選ばれた者だった」

三名。

歴代でも稀な、複数の選定者を擁するパーティだ。通常は一名で事足りる。教会の儀式において聖なる光を受けた者——それが同時に三名現れたことは、五十年の制度史上なかった。

「それが全滅、か」

グレイヴスは報告書を机に置いた。

軽い音が、重く響いた。

——五十年前。自分がまだ孤児院にいた頃に、この制度は始まった。

選ばれなかった自分は教会の道を進み、選ばれた者たちを——送り出す側になった。

何人送り出した?

何人が帰ってこなかった?

「……調査隊を派遣する」

「大司教様」

聖騎士の一人が一歩前に出た。

「調査隊を送ったとて——魔王城は魔族の本拠地。王都から十日の行程、うち三日は荒野です。われらが到達できる保証は」

「ゆえに精鋭を選べ。聖騎士団から十名。街道の警護を含め二十名体制で臨む」

グレイヴスの声に、感情はない。

「勇者が生きているか。魔王が健在か。それを確認する。——人類の未来のために」

——それが秩序だ。

子どもを送り出し、確認し、次を送る。

それが、正しい。

「準備を進めよ。五日以内に出発する」

「かしこまりました」

聖騎士たちが頭を下げる。

グレイヴスは再び報告書に目を落とした。

紙面に記された三つの名前。

レオン。リーゼ。ガルド。

——孤児たちだ。

自分と同じ。

「…………」

グレイヴスは目を閉じた。

ステンドグラスの光が、閉じた瞼の裏で揺れる。

それでも、秩序は守らねばならない。

それが——自分の務めだ。

五十年間、そう言い聞かせてきた。

今日も、明日も。


◆よしこ視点

魔王城。食堂。

わては大きな鍋の前に立って、スープをかき混ぜとった。

「ふんふ〜ん(^^)」

今日は野菜たっぷりのポトフや。

じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、キャベツ——全部この世界にもあってほんま助かる。

肉も入れた。ガルくんが「僕が切りました」って嬉しそうに持ってきてくれたやつ。

ええ感じに煮えてきたな。

あとは塩で味を調えて——

「魔王様」

ヴェルちゃんの声がした。

「ん? どしたん(^^)」

「恐れながら。報告がございます」

ヴェルちゃんが部屋の入口に立っとる。

いつもの硬い表情。

「王都ルミエールから、調査隊が派遣される可能性があるとの報せが」

「調査隊?」

「はい。勇者パーティが帰還しないことを不審に思い、聖教会が動くかと」

「あぁ」

わてはスープをもう一度かき混ぜた。

「そら、そうやな。普通心配するもんな(^^)」

「魔王様……それは……」

ヴェルちゃんの声がちょっと困った感じになった。

「魔王様。調査隊が来るということは、戦闘の可能性もあるかと存じます」

「戦闘?」

「はい。魔王城への侵入者ですので、当然——」

「あ、ヴェルちゃん」

「——ヴェルザです」

「お客さん来るなら、掃除せなあかんな(^^)」

「…………は?」

ヴェルちゃんが固まった。

「だってそうやろ。人が来るのに城が汚かったら失礼やん(^^) 大掃除しよ。玄関ホールから磨いて——」

——あ、いかんいかん。

わては咳払いをした。

「……ふむ。客人を迎える以上、城の威容を示す必要があろう。掃除を命じるぞ」

「…………」

ヴェルちゃんが無言でわてを見とる。

「……何でもありませんわ」

「魔王様。今、完全に関西弁でございました」

「気のせいや」

「気のせいではございません」

「気のせいやって(^^)」

「…………」

ヴェルちゃんが深く息を吐いた。

「……それはさておき。魔王様。調査隊は敵でございます。戦闘準備を——」

「敵でもお客さんやで(^^)」

「…………」

ヴェルちゃんが何か言いたそうな顔をして、それから深く息を吐いた。今日二回目や。

「——かしこまりました。掃除の準備を整えます」

「よろしゅう(^^)」

わてはスープの味見をした。

うん。ええ感じや。

——お客さん、来るんやったらちゃんとごはん出さなな。

人数増えるから多めに作っとこ。


◆ヴェルザ視点

私は廊下を歩きながら、深く息を吐いた。本日三度目の溜息である。

「……何なのだ、この方は……」

調査隊が来る。

王都から、聖騎士が来る。

——それを「お客さん」と呼び、掃除をすると仰る。

戦闘準備ではなく。

迎撃ではなく。

掃除。

「……もはや驚きもせぬ……」

先代魔王であれば、調査隊など城に近づく前に殲滅しただろう。

だがこの魔王は——

——掃除をする。

そして、勇者たちにごはんを食べさせる。

「…………」

私は足を止めた。

食堂から、声が聞こえてくる。

「レオンくん、字うまくなったなぁ(^^)」

「……べ、別に……」

「この『ス』の字、ちゃんと書けてるやん。えらいえらい」

「……うるせぁ……」

——勇者が、魔王に字を教わっている。

数日前から始まった「勉強の時間」だ。

レオンは字が読めないらしい。それを魔王が教えている。

「リーゼちゃん、今日もちゃんと朝ごはん食べたな(^^) 偉いで」

「……問題ない」

「ちゃんと三食食べるの、約束やで(^^)」

「…………わかった」

——リーゼが食事を抜かなくなった。

魔王が毎日、リーゼの前に皿を置き、「ちゃんと食べなさい」と言い続けた結果だ。

「ガルド、このスープすごい美味しいな」

「え、えへへ……僕が作ったんです……」

「まじか。ガルドすげぇ」

「えへへ……」

——ガルドが料理を覚えた。

最初は皿洗いから始まり、今では簡単なスープを作れるようになった。

よしこ様が「あんたは料理の才能あるで(^^)」と褒めたことで、ガルドは毎日厨房に立っている。

「…………」

私はしばらく、その声を聞いていた。

勇者たちの声。

魔王の声。

笑い声。

——これは、何だ。

敵のはずだ。

勇者は魔王を倒すために来たはずだ。

なのに——

何かが、胸の奥で引っかかった。

名前をつけるのはまだ早い。言葉にすれば、認めてしまう。

——だが。

三百年仕えた先代魔王の時には、一度も聞こえなかった音だ。

この、笑い声というものは。

私はそっと背を向けた。

「……私もまた、この方に飼い慣らされているのかもしれぬ」

だが、不思議と——嫌ではなかった。

それが何故なのかは、今はまだ考えないことにした。


◆レオン視点

夜。

今日も食卓に五人が揃った。

よしこの作ったポトフ。ガルドが切った肉。パンは魔王城の厨房で焼いたやつ。

「いただきます(^^)」

よしこが手を合わせる。

俺たちも——なんとなく、真似するようになった。

「いただきます」

スープをすくう。

湯気が立ち上る。口に運ぶ。

「…………」

あったかい。

味も、温度も。

三週間前——魔王城に来た時、俺たちはボロボロだった。

最後にまともな飯を食ったのは、荒野を越える前。それから三日間、何も食べられなかった。

魔王城に着いた時、倒れそうだった。

リーゼは顔色が悪かったし、ガルドは泣いてた。

俺も——足が震えてた。認めたくなかったけど。

——それが今。

「レオン、おかわりある?」

リーゼが小さく手を上げた。

「……自分で取れよ」

「……遠い」

「甘えんな」

そう言いながら、俺はリーゼの皿にスープをよそった。

「……ありがと」

「……べつに」

隣でガルドが「えへへ……みんなで食べると美味しいです……」と呟いている。

ヴェルザは黙々とパンを食べている。真面目な顔で。でも二個目に手を伸ばしてる。

よしこは——

「ふふ(^^) みんなよう食べるなぁ」

嬉しそうに笑っていた。

「レオンくん、明日も字の勉強しよな(^^)」

「……うるせぇ」

「リーゼちゃん、明日は魔法の本読んでみる? ヴェルちゃんが貸してくれるって」

「ヴェルザです」

「ガルくん、明日は煮込み料理教えたげるわ(^^) 時間かかるけど美味しいで」

「ほ、本当ですか! やります!」

「ヴェルちゃんも手伝ってな(^^)」

「——ヴェルザです。……かしこまりました」

五人の声が食堂に響く。

外は暗い。

でも、ここは明るい。

暖炉の火。

壁に掛けた魔法灯の淡い光。

スープの湯気。

——それと。

誰かと一緒に食べる、温かさ。

「…………」

俺は黙ってパンを食べた。

うまい。

——こんな場所、初めてだ。

孤児院にも、ストリートにも、なかった。

孤児院では、飯の時間は奪い合いだった。遅い奴は食えない。弱い奴はおかずを取られる。

ストリートでは——飯の時間なんてなかった。食えるときに食う。それだけ。

勇者になってから、やっと「居場所」ができたと思った。

でも旅の食事は干し肉とパンの耳で、誰も「いただきます」なんて言わなかった。

でも——ここでは。

「いただきます」から始まって、「ごちそうさま」で終わる。

誰かが「おかわり」って言えば、誰かが注いでやる。

ガルドが「えへへ」って笑って、リーゼが「……美味しい」って小さく言って、ヴェルザが二個目のパンに手を伸ばす。

——本当の居場所は、ここだったのかもしれない。

「レオンくん、どしたん? パン足りひんかった?」

「……いや」

「ほな、おかわりあるで(^^)」

「…………」

「ん?」

「……いや、なんでもねぇ」

俺は視線を逸らした。

——王都から調査隊が来る。

ヴェルザが昼間、そう言っていた。

聖騎士団の精鋭。十人。——俺たち三人のガキとは違う、本物の戦力だ。

調査隊が来たら——

——俺たちは、どうなるんだろう。

「レオンくん」

よしこの声がした。

「お客さん来る前に、部屋の掃除もしとこうな(^^) あんたの部屋、剣置きっぱなしやで」

「……わかったよ」

「えらいえらい(^^)」

頭を撫でられた。

——大きな、温かい手。

「……やめろよ」

「ふふ(^^)」

よしこは笑っていた。

——調査隊が来ても、この人は変わらないんだろう。

掃除をして、ごはんを作って、「いらっしゃい(^^)」って言うんだろう。

それが——

——怖いような、安心するような。

「さ、ごちそうさまの前にデザートあるで(^^) リンゴのコンポートや」

「デザート!」

ガルドが目を輝かせた。

リーゼも小さく「……楽しみ」と呟いた。

ヴェルザは「甘味ですか」と小声で言っている。

俺も——

「……まぁ、食うけど」

「はいはい(^^)」

五人でデザートを食べた。

外では、王都が調査隊の準備を進めている。

魔王城に、聖騎士がやってくる。

——でも今夜は。

ここで、みんなと一緒にリンゴを食べる。

それだけでいい。

それだけで——

——十分だ。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第9話は「平和な日常に忍び寄る不穏」の回です。

王都では大司教グレイヴスが「勇者が帰ってこない」と調査隊を派遣します。冷徹で厳格な大人の世界。秩序と政治の論理。ステンドグラスの冷たい光。——一方、魔王城ではよしこが「お客さん来るなら掃除せな(^^)」。暖炉の火と、スープの湯気。温度差がすごい。この対比構造が、この作品の核です。

レオンは字を覚え始めました。リーゼはちゃんと三食食べるようになりました。ガルドは料理ができるようになりました。三週間で、三人とも変わりました。——そしてその変化に、本人たちも気づき始めています。「ここが居場所かもしれない」と。

レオンの食卓の回想が好きです。孤児院では奪い合い。ストリートでは食事の時間すらない。旅では干し肉とパンの耳。——そんな少年が初めて「いただきます」と「ごちそうさま」のある食卓を知った。それだけで、もう泣ける。

でも、調査隊が来る。外の世界が、この平和を壊しに来る。

次回、第10話「ここが、おうち」で第1アークが完結します。レオン、リーゼ、ガルドの三人が、それぞれ「帰りたくない」と気づく瞬間を描きます。そしてよしこが微笑んで言います——「ほなここがおうちやな(^^)」。

泣かせにいきます。ハンカチの準備をお願いします。

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