◆グレイヴス大司教視点
王都ルミエール。聖教会の大聖堂。
高い天井からステンドグラスの光が降り注ぐ。赤、青、金——聖者たちの物語を描いた色硝子が、謁見の間を冷たく染めていた。
大司教グレイヴスは玉座に腰掛けたまま、報告書を見下ろす。
灰色の髪がステンドグラスの光に照らされる。鉄色の瞳が、紙面の文字を追う。
「——三週間」
低く、冷たい声が響いた。
「勇者パーティが魔王城に到達してから、三週間が経過した。連絡なし。帰還なし」
周囲に控える聖騎士たちが身じろぎする。
グレイヴスは視線を上げた。
「諸君は、どう考える」
沈黙。
誰も答えない。答えられない。
——勇者が、帰ってこない。
これまでの歴史で何度もあった。勇者が魔王城に到達し、そのまま消息を絶つことは。
だが。
「レオン、リーゼ、ガルド——三名とも、勇者選定の儀で選ばれた者だった」
三名。
歴代でも稀な、複数の選定者を擁するパーティだ。通常は一名で事足りる。教会の儀式において聖なる光を受けた者——それが同時に三名現れたことは、五十年の制度史上なかった。
「それが全滅、か」
グレイヴスは報告書を机に置いた。
軽い音が、重く響いた。
——五十年前。自分がまだ孤児院にいた頃に、この制度は始まった。
選ばれなかった自分は教会の道を進み、選ばれた者たちを——送り出す側になった。
何人送り出した?
何人が帰ってこなかった?
「……調査隊を派遣する」
「大司教様」
聖騎士の一人が一歩前に出た。
「調査隊を送ったとて——魔王城は魔族の本拠地。王都から十日の行程、うち三日は荒野です。われらが到達できる保証は」
「ゆえに精鋭を選べ。聖騎士団から十名。街道の警護を含め二十名体制で臨む」
グレイヴスの声に、感情はない。
「勇者が生きているか。魔王が健在か。それを確認する。——人類の未来のために」
——それが秩序だ。
子どもを送り出し、確認し、次を送る。
それが、正しい。
「準備を進めよ。五日以内に出発する」
「かしこまりました」
聖騎士たちが頭を下げる。
グレイヴスは再び報告書に目を落とした。
紙面に記された三つの名前。
レオン。リーゼ。ガルド。
——孤児たちだ。
自分と同じ。
「…………」
グレイヴスは目を閉じた。
ステンドグラスの光が、閉じた瞼の裏で揺れる。
それでも、秩序は守らねばならない。
それが——自分の務めだ。
五十年間、そう言い聞かせてきた。
今日も、明日も。
◆よしこ視点
魔王城。食堂。
わては大きな鍋の前に立って、スープをかき混ぜとった。
「ふんふ〜ん(^^)」
今日は野菜たっぷりのポトフや。
じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、キャベツ——全部この世界にもあってほんま助かる。
肉も入れた。ガルくんが「僕が切りました」って嬉しそうに持ってきてくれたやつ。
ええ感じに煮えてきたな。
あとは塩で味を調えて——
「魔王様」
ヴェルちゃんの声がした。
「ん? どしたん(^^)」
「恐れながら。報告がございます」
ヴェルちゃんが部屋の入口に立っとる。
いつもの硬い表情。
「王都ルミエールから、調査隊が派遣される可能性があるとの報せが」
「調査隊?」
「はい。勇者パーティが帰還しないことを不審に思い、聖教会が動くかと」
「あぁ」
わてはスープをもう一度かき混ぜた。
「そら、そうやな。普通心配するもんな(^^)」
「魔王様……それは……」
ヴェルちゃんの声がちょっと困った感じになった。
「魔王様。調査隊が来るということは、戦闘の可能性もあるかと存じます」
「戦闘?」
「はい。魔王城への侵入者ですので、当然——」
「あ、ヴェルちゃん」
「——ヴェルザです」
「お客さん来るなら、掃除せなあかんな(^^)」
「…………は?」
ヴェルちゃんが固まった。
「だってそうやろ。人が来るのに城が汚かったら失礼やん(^^) 大掃除しよ。玄関ホールから磨いて——」
——あ、いかんいかん。
わては咳払いをした。
「……ふむ。客人を迎える以上、城の威容を示す必要があろう。掃除を命じるぞ」
「…………」
ヴェルちゃんが無言でわてを見とる。
「……何でもありませんわ」
「魔王様。今、完全に関西弁でございました」
「気のせいや」
「気のせいではございません」
「気のせいやって(^^)」
「…………」
ヴェルちゃんが深く息を吐いた。
「……それはさておき。魔王様。調査隊は敵でございます。戦闘準備を——」
「敵でもお客さんやで(^^)」
「…………」
ヴェルちゃんが何か言いたそうな顔をして、それから深く息を吐いた。今日二回目や。
「——かしこまりました。掃除の準備を整えます」
「よろしゅう(^^)」
わてはスープの味見をした。
うん。ええ感じや。
——お客さん、来るんやったらちゃんとごはん出さなな。
人数増えるから多めに作っとこ。
◆ヴェルザ視点
私は廊下を歩きながら、深く息を吐いた。本日三度目の溜息である。
「……何なのだ、この方は……」
調査隊が来る。
王都から、聖騎士が来る。
——それを「お客さん」と呼び、掃除をすると仰る。
戦闘準備ではなく。
迎撃ではなく。
掃除。
「……もはや驚きもせぬ……」
先代魔王であれば、調査隊など城に近づく前に殲滅しただろう。
だがこの魔王は——
——掃除をする。
そして、勇者たちにごはんを食べさせる。
「…………」
私は足を止めた。
食堂から、声が聞こえてくる。
「レオンくん、字うまくなったなぁ(^^)」
「……べ、別に……」
「この『ス』の字、ちゃんと書けてるやん。えらいえらい」
「……うるせぁ……」
——勇者が、魔王に字を教わっている。
数日前から始まった「勉強の時間」だ。
レオンは字が読めないらしい。それを魔王が教えている。
「リーゼちゃん、今日もちゃんと朝ごはん食べたな(^^) 偉いで」
「……問題ない」
「ちゃんと三食食べるの、約束やで(^^)」
「…………わかった」
——リーゼが食事を抜かなくなった。
魔王が毎日、リーゼの前に皿を置き、「ちゃんと食べなさい」と言い続けた結果だ。
「ガルド、このスープすごい美味しいな」
「え、えへへ……僕が作ったんです……」
「まじか。ガルドすげぇ」
「えへへ……」
——ガルドが料理を覚えた。
最初は皿洗いから始まり、今では簡単なスープを作れるようになった。
よしこ様が「あんたは料理の才能あるで(^^)」と褒めたことで、ガルドは毎日厨房に立っている。
「…………」
私はしばらく、その声を聞いていた。
勇者たちの声。
魔王の声。
笑い声。
——これは、何だ。
敵のはずだ。
勇者は魔王を倒すために来たはずだ。
なのに——
何かが、胸の奥で引っかかった。
名前をつけるのはまだ早い。言葉にすれば、認めてしまう。
——だが。
三百年仕えた先代魔王の時には、一度も聞こえなかった音だ。
この、笑い声というものは。
私はそっと背を向けた。
「……私もまた、この方に飼い慣らされているのかもしれぬ」
だが、不思議と——嫌ではなかった。
それが何故なのかは、今はまだ考えないことにした。
◆レオン視点
夜。
今日も食卓に五人が揃った。
よしこの作ったポトフ。ガルドが切った肉。パンは魔王城の厨房で焼いたやつ。
「いただきます(^^)」
よしこが手を合わせる。
俺たちも——なんとなく、真似するようになった。
「いただきます」
スープをすくう。
湯気が立ち上る。口に運ぶ。
「…………」
あったかい。
味も、温度も。
三週間前——魔王城に来た時、俺たちはボロボロだった。
最後にまともな飯を食ったのは、荒野を越える前。それから三日間、何も食べられなかった。
魔王城に着いた時、倒れそうだった。
リーゼは顔色が悪かったし、ガルドは泣いてた。
俺も——足が震えてた。認めたくなかったけど。
——それが今。
「レオン、おかわりある?」
リーゼが小さく手を上げた。
「……自分で取れよ」
「……遠い」
「甘えんな」
そう言いながら、俺はリーゼの皿にスープをよそった。
「……ありがと」
「……べつに」
隣でガルドが「えへへ……みんなで食べると美味しいです……」と呟いている。
ヴェルザは黙々とパンを食べている。真面目な顔で。でも二個目に手を伸ばしてる。
よしこは——
「ふふ(^^) みんなよう食べるなぁ」
嬉しそうに笑っていた。
「レオンくん、明日も字の勉強しよな(^^)」
「……うるせぇ」
「リーゼちゃん、明日は魔法の本読んでみる? ヴェルちゃんが貸してくれるって」
「ヴェルザです」
「ガルくん、明日は煮込み料理教えたげるわ(^^) 時間かかるけど美味しいで」
「ほ、本当ですか! やります!」
「ヴェルちゃんも手伝ってな(^^)」
「——ヴェルザです。……かしこまりました」
五人の声が食堂に響く。
外は暗い。
でも、ここは明るい。
暖炉の火。
壁に掛けた魔法灯の淡い光。
スープの湯気。
——それと。
誰かと一緒に食べる、温かさ。
「…………」
俺は黙ってパンを食べた。
うまい。
——こんな場所、初めてだ。
孤児院にも、ストリートにも、なかった。
孤児院では、飯の時間は奪い合いだった。遅い奴は食えない。弱い奴はおかずを取られる。
ストリートでは——飯の時間なんてなかった。食えるときに食う。それだけ。
勇者になってから、やっと「居場所」ができたと思った。
でも旅の食事は干し肉とパンの耳で、誰も「いただきます」なんて言わなかった。
でも——ここでは。
「いただきます」から始まって、「ごちそうさま」で終わる。
誰かが「おかわり」って言えば、誰かが注いでやる。
ガルドが「えへへ」って笑って、リーゼが「……美味しい」って小さく言って、ヴェルザが二個目のパンに手を伸ばす。
——本当の居場所は、ここだったのかもしれない。
「レオンくん、どしたん? パン足りひんかった?」
「……いや」
「ほな、おかわりあるで(^^)」
「…………」
「ん?」
「……いや、なんでもねぇ」
俺は視線を逸らした。
——王都から調査隊が来る。
ヴェルザが昼間、そう言っていた。
聖騎士団の精鋭。十人。——俺たち三人のガキとは違う、本物の戦力だ。
調査隊が来たら——
——俺たちは、どうなるんだろう。
「レオンくん」
よしこの声がした。
「お客さん来る前に、部屋の掃除もしとこうな(^^) あんたの部屋、剣置きっぱなしやで」
「……わかったよ」
「えらいえらい(^^)」
頭を撫でられた。
——大きな、温かい手。
「……やめろよ」
「ふふ(^^)」
よしこは笑っていた。
——調査隊が来ても、この人は変わらないんだろう。
掃除をして、ごはんを作って、「いらっしゃい(^^)」って言うんだろう。
それが——
——怖いような、安心するような。
「さ、ごちそうさまの前にデザートあるで(^^) リンゴのコンポートや」
「デザート!」
ガルドが目を輝かせた。
リーゼも小さく「……楽しみ」と呟いた。
ヴェルザは「甘味ですか」と小声で言っている。
俺も——
「……まぁ、食うけど」
「はいはい(^^)」
五人でデザートを食べた。
外では、王都が調査隊の準備を進めている。
魔王城に、聖騎士がやってくる。
——でも今夜は。
ここで、みんなと一緒にリンゴを食べる。
それだけでいい。
それだけで——
——十分だ。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第9話は「平和な日常に忍び寄る不穏」の回です。
王都では大司教グレイヴスが「勇者が帰ってこない」と調査隊を派遣します。冷徹で厳格な大人の世界。秩序と政治の論理。ステンドグラスの冷たい光。——一方、魔王城ではよしこが「お客さん来るなら掃除せな(^^)」。暖炉の火と、スープの湯気。温度差がすごい。この対比構造が、この作品の核です。
レオンは字を覚え始めました。リーゼはちゃんと三食食べるようになりました。ガルドは料理ができるようになりました。三週間で、三人とも変わりました。——そしてその変化に、本人たちも気づき始めています。「ここが居場所かもしれない」と。
レオンの食卓の回想が好きです。孤児院では奪い合い。ストリートでは食事の時間すらない。旅では干し肉とパンの耳。——そんな少年が初めて「いただきます」と「ごちそうさま」のある食卓を知った。それだけで、もう泣ける。
でも、調査隊が来る。外の世界が、この平和を壊しに来る。
次回、第10話「ここが、おうち」で第1アークが完結します。レオン、リーゼ、ガルドの三人が、それぞれ「帰りたくない」と気づく瞬間を描きます。そしてよしこが微笑んで言います——「ほなここがおうちやな(^^)」。
泣かせにいきます。ハンカチの準備をお願いします。
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