◆リーゼ視点
雨の音がする。
目を開けた。天井が揺れている。
——違う。揺れているのは、私の視界だ。
体が熱い。
頭が重い。
「……っ」
起き上がろうとして、腕が震えた。
力が入らない。
窓の外を見る。灰色の空。雨が斜めに降っている。
魔王城の石壁に、雨粒がぶつかる音。
——朝だ。
朝ごはんの時間だ。
行かなきゃ。
みんな待ってる。
よしこが「リーゼちゃんおはよう(^^)」って言ってくれる。
ガルドのスープがある。レオンが無言で椅子を引いてくれる。
行かなきゃ。
体を起こす。
——視界が白くなった。
「…………」
ベッドに倒れ込んだ。
ダメだ。立てない。
額に手を当てる。
熱い。自分でもわかるくらい。
——風邪だ。
雨の日に体を冷やした。昨日、中庭で分析魔法の練習をしていて、雨に気づかなかった。
……問題ない。
寝ていれば治る。
食べなくても動ける。
前もそうだった。旅の途中で熱が出ても、一人で耐えた。
孤児院でも。
路上でも。
熱が出たら、隅っこで丸くなって、治るまで待つ。
誰にも言わない。
言っても——誰も来ないから。
コンコン。
扉を叩く音。
「リーゼちゃーん? おはよう(^^) 朝ごはんできとるで」
——よしこの声。
「…………」
返事をしなかった。
寝たふりをすれば、諦めて戻るだろう。
「リーゼちゃん?」
扉が開いた。
——鍵、かけてなかった。
「……」
「リーゼちゃん、朝ごはん来ぃひんから——」
よしこが部屋に入ってきた。
足音が近づく。
「……問題ない」
声を出した。かすれていた。
「……ちょっとだるいだけ。すぐ——」
よしこの手が、額に触れた。
「…………」
温かい手。でも私の額の方がずっと熱い。
「あかんやん、熱あるで」
——関西弁。
でも、すぐに取り繕わなかった。よしこは私の額に手を当てたまま、目を細めている。
「……体調が優れぬようだな。……うん、38度は超えとるな、これ」
取り繕った。けど混ざった。
「……問題ない。寝ていれば——」
「問題あるで(^^)」
よしこが毛布を引き上げて、私の肩までかけた。
「ここでじっとしとき。おかゆ作ってくるから」
「……食べなくても」
「あかん」
よしこの声が、少しだけ厳しくなった。
「熱がある時こそ食べるんや。体が戦っとるんやから、栄養いるで」
「…………」
「すぐ戻るから、おとなしくしときや(^^)」
よしこが出ていった。
足音が廊下に消える。
——来た。
来てくれた。
朝ごはんに来ないだけで、部屋まで。
「…………」
天井を見上げる。
雨の音が続いている。
◆よしこ視点
あかん、リーゼちゃん、顔真っ赤やった。
わては厨房に駆け込んだ。
おかゆを炊く。水多めで、とろとろになるやつ。塩は控えめ。梅干し——はないから、この世界にある酸味のある果実の漬物を添えよう。
卵を一つ溶いておく。おかゆが炊き上がったら最後に混ぜる。
「魔王様?」
ヴェルちゃんの声。
「リーゼちゃんが熱出してん。おかゆ作るわ」
「それは——大丈夫でございましょうか」
「大丈夫やけど、あの子、絶対『問題ない』って言うて無理するタイプやから(^^)」
ヴェルちゃんが少し考えて——
「……薬草を用意しましょう。解熱の効果があるものが薬庫にございます」
「ヴェルちゃん、ありがとう(^^)」
「ヴェルザです」
ヴェルちゃんが出ていった。
——ほんまは優しい子やな、あの子も。300歳やけど。
おかゆが炊き上がった。
溶き卵を回し入れる。ふわっと固まる。
器に盛る。果実の漬物を小皿に。
お盆に載せて——
あ。
レンゲ忘れた。取りに戻る。
ついでにお水も。
——よし。
リーゼちゃんの部屋に戻る。
◆リーゼ視点
扉が開いた。
おかゆの匂いがした。
——鼻でわかる。米の匂い。卵の匂い。塩。ほんのり甘い果実の酸味。
……いい匂い。
「はい、お待たせ(^^)」
よしこがお盆を持って入ってきた。
ベッドの横に椅子を引いて座り、お盆を膝に載せた。
「起きれる? 無理なら横のままでもええで」
「……起きる」
体を起こした。背中に枕を当ててもらう。
よしこの手が、また額に触れた。
「……まだ熱いな。でもさっきよりはましかも」
「……」
よしこがレンゲにおかゆをすくって、ふぅふぅと息を吹きかけた。
「はい、あーん(^^)」
「……自分で食べられる」
「ええから(^^) 熱ある時は甘えとき」
「…………」
甘える、という言葉の意味を、私はよく知らない。
レンゲが口元に来た。
口を開けた。
おかゆが舌に触れた。
「…………」
温かい。
やわらかい。
やさしい味。
体の中に、染みていく。
「……美味しい」
「よかった(^^) もう一口いこか」
ふぅふぅ。
はい、あーん。
……子ども扱いだ。
16歳の魔法使いに、「あーん」はない。
でも——
嫌じゃなかった。
「リーゼちゃん、昨日雨の中で練習しとったやろ」
「……」
「鼻利くから魔法の練習で集中してたんやろうけど、体冷やしたらあかんで」
「……ごめんなさい」
「謝らんでええ(^^) 次から気ぃつけたらええだけや」
——次から。
次がある、ということ。
また同じことをしても、怒らないということ。
旅の途中で体調を崩した時——
レオンは「遅れるぞ」と言った。
悪気はない。彼なりの心配だったのかもしれない。でも、私は「すみません」と言って歩き続けた。
孤児院では。
熱を出しても、誰も気づかなかった。
ベッドの隅で丸くなって、一人で治した。
翌朝、「起きろ」と言われて起きた。それだけ。
路上では。
体調を崩したら、それは死に近づくことだった。
弱みを見せたら奪われる。だから、隅っこで、息を殺して、治るのを待った。
——誰も来なかった。
一度も。
「……よしこ」
「ん?」
「……誰かに心配されるのは、初めて」
「…………」
「熱が出て……誰かが来てくれたのは……初めて……」
——あれ。
目が、滲んだ。
おかしい。
泣く理由がない。
おかゆを食べて、心配されて——それだけなのに。
——止めろ。
私は自分に命じた。
泣くな。泣いてどうする。泣いたところで何も変わらない。
孤児院で泣いても誰も来なかった。路上で泣いたら財布を盗まれた。
涙は、何の役にも立たないと——知っているはずだ。
「リーゼちゃん」
「…………」
「泣いてええよ(^^)」
「……泣いてない」
「泣いてるで(^^)」
「…………泣いて、ない……」
涙が、頬を伝った。
止まらない。
止めたいのに。止められない。
——止めなくていいと、言われたから。
「しんどかったな(^^)」
よしこの手が、頭に置かれた。
大きくて、温かい手。
「ずっと一人で頑張ったな。しんどかったな」
「…………」
「もう大丈夫やで。しんどい時は、しんどいって言うてええんやで」
「……言ったこと、ない」
「ほな、今日が最初やな(^^)」
「…………」
声が出ない。
涙が止まらない。
体が熱いのは熱のせいだ。
でも、胸が熱いのは——
違う。
これは——
「……し、しんどい」
「うん(^^)」
「……しんどい、です」
「うん。よう言えた(^^)」
「……しんどかった……ずっと……」
「うん。うん。知っとるで」
よしこが頭を撫でてくれた。
ゆっくり、何度も。
雨の音がする。
おかゆの湯気が立っている。
よしこの手が、温かい。
——ああ。
こういうのを、なんて言うんだったか。
……安心。
多分、これが「安心」だ。
◆よしこ視点
リーゼちゃんが泣き止んだ。
泣き疲れて、少しうとうとしている。
おかゆは——全部食べた。
泣きながら食べた。泣いて、食べて、また泣いて。
……ええ子や。
この子は、ずっと一人で耐えてきた。
熱が出ても。お腹が空いても。寂しくても。
「問題ない」って言って、全部一人で処理してきた。
16歳の女の子が。
——あかん。わても泣きそうや。
「……魔王様」
廊下から小さな声がした。
扉の隙間から覗くと——
レオンくんとガルくんが、廊下で立っとる。
入れへんのか。
レオンくんが腕を組んで壁に寄りかかっとる。目を逸らしてる。
ガルくんが両手を握りしめて、おろおろしとる。
「……リーゼ、大丈夫かよ」
レオンくんが、ぼそっと言った。
「大丈夫やで(^^) 熱はあるけど、おかゆ全部食べたから」
「……そうかよ」
「……よしこさん、僕、リーゼさんにスープ作ります。元気出るやつ……!」
「ガルくん、ありがとう(^^) ほな、お昼にお願いしてええ?」
「は、はい!」
ガルくんが厨房に走っていった。
レオンくんは——動かない。
「レオンくん、入る?」
「……い、いや。別に。ただ通りかかっただけだ」
——この廊下は行き止まりやで(^^)
でも、言わんとこ。
「リーゼちゃん今寝とるから、起きたら顔見してあげてな」
「……べ、別にそういうんじゃ——」
「うん(^^)」
レオンくんが真っ赤になって去っていった。
——ほんまに素直やないなぁ。でもちゃんと心配しとるのが、ええ子やなぁ。
部屋に戻ると、リーゼちゃんが薄く目を開けた。
「……よしこ」
「おはよう(^^) もうちょっと寝とき」
「……レオンとガルドの声がした」
「心配しとったで、二人とも(^^)」
「…………」
リーゼちゃんが——
ほんの少しだけ、笑った。
「……そう」
「ガルくんがお昼にスープ作ってくれるって。楽しみやな(^^)」
「……うん」
リーゼちゃんが目を閉じた。
コンコン。
また扉。
「失礼いたします」
ヴェルちゃんが入ってきた。
手に小さな瓶を持っとる。
「薬草の煎じ薬でございます。解熱に効果がございます」
「ヴェルちゃん、ありがとう(^^)」
「ヴェルザです。——それと」
ヴェルちゃんが、もう一つ何かを差し出した。
毛布。
——あれ。これ、さっき薬を持ってきた時は持ってへんかったよな。
つまり、薬を届けた後で、わざわざ取りに行ったってことや。東塔の備品庫まで——ここから結構歩くんやけどな。
「夜は冷えます。これを」
「ヴェルちゃん……ありがとうな(^^)」
「ヴェルザです。——では」
ヴェルちゃんが毛布をベッドの上にそっと置いた。
何か言いかけた。口が開きかけて——閉じた。
結局、何も言わずに出ていった。
——さりげないなぁ。不器用やなぁ。
リーゼちゃんの上に毛布をかけた。
薬を枕元に置いて、起きた時に飲めるように。
「リーゼちゃん」
寝ている顔に、そっと言った。
「安心して寝とき(^^) わてがおるから」
雨は、まだ降っている。
でも、この部屋は温かい。
——大丈夫。
この子はもう、一人やない。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第15話「雨の日のおかゆ」。リーゼの話です。
リーゼは16歳です。孤児院で育ち、路上を生き延び、教会に「勇者の仲間」として拾われた。体調を崩しても誰にも言わず、一人で隅っこに丸くなって治してきた。「問題ない」が口癖なのは、問題があっても誰も助けてくれなかったから。
「誰かに心配されるのは初めて」——この一言が、この話の全てです。
おかゆって不思議です。特別な料理じゃない。米と水と塩だけ。でも、熱がある時に誰かが作ってくれたおかゆは、世界で一番おいしい。それは味の問題じゃなくて、「心配してくれる人がいる」という事実の味なんだと思います。
レオンとガルドが廊下で待っているシーンが好きです。入れないんですよね、照れくさくて。でもちゃんとそこにいる。「通りかかっただけだ」——行き止まりの廊下で。よしこはちゃんと気づいてるけど、言わない。それが大人の優しさ。
ヴェルザの毛布は、何も言わずに置いていくところがいい。300歳の不器用な優しさです。
次回、第16話「子ども組と大人組」。ピプの空間魔法鬼ごっこにティアが巻き込まれます。城中を駆け回るコメディ回です。
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