◆レオン視点
中庭。朝。
素振りをしている。
剣を振り下ろす。もう一回。もう一回。
——だめだ。
わかってる。
俺の剣は、我流だ。基礎がない。
ストリートで生き延びるために覚えた剣。型もへったくれもない。振り回して、当たればいい。それだけだった。
勇者に選ばれて、聖剣を渡された時も——誰も教えてくれなかった。
「勇者なら使えるはずだ」って。
使えるかよ。
聖剣は——ただの古い剣にしか見えない。刃こぼれだらけ。柄の革は擦り切れてる。
選定の儀の時に一瞬光っただけで、それ以来何も起きない。
でも、捨てない。
これは——俺に与えられた、唯一のものだから。
振り下ろす。
……足がふらつく。
重心がずれてる。自分でわかる。でも、直し方がわからない。
「——体幹が弱い」
声がした。
振り向くと——ヴェルザが立っていた。
魔王軍の黒い軍服。銀髪が朝日に光る。金色の目がこっちを見ている。
「勇者。貴殿の素振りは、力任せだ。足の位置が悪い。腰が回っていない。——よって、一撃の威力が半分以下に落ちている」
「……」
「見ていられぬ」
ヴェルザが腕を組んでいる。
——見ていたのか。
いつから。
「……うるせぇ。お前に関係ねぇだろ」
「確かに関係ない。勇者の剣など、私が気にかける道理はない」
ヴェルザが背を向けかけた。
「…………」
——くそ。
言え。
口が——開かねぇ。
奥歯を噛んだ。ぎり、と音がした。
拳を握った。爪が手のひらに食い込む。
リーゼが体調崩した時、何もできなかった。ベッドの横に座って、額の汗を拭くことしかできなかった。
ガルドが泣いてた時も、俺はただ——部屋の外で壁を殴ってた。
俺は「勇者」だ。
みんなを守るのが、俺の仕事だ。
なのに——守る力がない。
我流の剣じゃ、ダメなんだ。わかってる。ずっと前からわかってた。
認めたくなかった。
敵に頭を下げるなんて。
——でも。あの人たちを守れないのと、プライドが折れるのと、どっちが痛い。
「……教えてくれ」
声が出た。
小さく。でも、確かに。
ヴェルザが足を止めた。
「……今、何と」
「……剣を。基礎を、教えてくれ」
頭が下がった。
勇者が、四天王に。頭を。
「……俺は我流だ。基礎がない。わかってる。このままじゃ——守れない」
「…………」
「……頼む」
沈黙。
雀の声がする。
風が吹いて、中庭の木の葉が揺れた。
「——かしこまりました」
顔を上げると——ヴェルザが、真っ直ぐこちらを見ていた。
◆ヴェルザ視点
——何をしている、私は。
勇者に剣を教える。
それは——魔族の敵を育てるということだ。
勇者は、魔王を倒すために存在する。
聖剣は、魔族を滅ぼすために作られた武器だ。
その剣の扱いを、魔王軍四天王筆頭が教える。
——あり得ない。
先代魔王であれば。
いや、魔族の歴史において、こんなことは一度もなかった。
だが——
あの少年の目を見てしまった。
「……守れない」
あの時の声。
あれは——脅威ではなかった。
ただの、17歳の少年の声だった。
誰かを守りたくて、自分の無力に気づいて、頭を下げた。
——よしこ様なら、何と仰るだろう。
わかっている。
「教えたれ」
と仰るだろう。笑いながら。(^^)を浮かべて。
「……」
中庭に、二人。
向かい合う。
「では始める。まず構えを見せよ」
勇者——レオンが、剣を正面に構えた。
……ひどいものだ。
握りが浅い。手首の角度が悪い。肩に力が入りすぎている。
これでは、打ち合いの衝撃で剣を弾かれる。
「握りを直す。まず、柄の下三分の一を利き手で——そうだ。もう一方の手は上。力は七対三。下の手で方向を決め、上の手で力を伝える」
「……こうか?」
「違う。もっと下だ。——そこだ」
レオンの手を直接掴んで、位置を矯正した。
——触れてしまった。
勇者の手に。
硬い手だ。17歳にしては。
剣ダコがある。だが配置が悪い。我流の証拠だ。正しい持ち方をしていれば、ここにはできない。
「足は肩幅に開け。右足を半歩引く。膝を——そう、軽く曲げる。腰は低く」
「……きつい」
「当然だ。これが正しい体の使い方だ。貴殿は上半身だけで振っていた。剣は全身で振るものだ」
レオンが歯を食いしばった。
だが、言われた通りに膝を曲げた。
——素直だな。
普段は「うるせぇ」しか言わないくせに。
「振れ」
「……おっ」
ブン、と空気を切る音。
さっきまでとは——明らかに違う。
「もう一度」
ブン。
「体重が乗っている。悪くない」
「…………」
レオンが、少しだけ目を見開いた。
——褒められ慣れていないのだろう。
「繰り返せ。百回」
「百!?」
「型は反復で身につく。百でも足りないくらいだ」
「……くそ。わかったよ」
レオンが振り始めた。
一回。二回。三回——
黙々と。
歯を食いしばりながら。
私はそれを見ている。
——見ている場合か。
この少年が強くなれば。
聖剣が覚醒すれば。
魔族にとっての脅威が増す。
300年、魔族のために戦ってきた。
先代魔王に仕え、人間との戦争を生き延びてきた。
——百二十年前の大戦。聖騎士団との決戦で、副官のザイツが斬られた。聖剣の光に焼かれて、跡形もなく。
私の目の前で。
あの光は——今も瞼の裏に焼きついている。
その私が——聖剣を持つ勇者を、鍛えている。
裏切りだ。
ザイツに。同胞に。300年の死者たちに。
——だが。
レオンの剣を見た。
五十回を超えたあたりで、汗が飛び散り始めた。
息が荒い。足が震えている。
でも止めない。
「……六十一……六十二……」
数えている。声に出して。
字を覚えたばかりの少年が、数字を。
「六十三……」
——この少年は。
弱い。
弱いが——努力を知っている。
ストリートで生き延び、我流で剣を覚え、仲間を率いて魔王城まで来た。
その少年が、「守れない」と言った。
誰を守りたいのか——聞くまでもない。
リーゼを。ガルドを。
そして恐らく——
よしこ様を。
「七十八……七十九……」
レオンが剣を振る。
繰り返すたびに、少しずつ——型が身についていく。
才能がある。
紛れもなく。
基礎がないだけで、体の使い方のセンスは本物だ。正しく教えれば——化ける。
「……九十七……九十八……」
そして。
「九十九——百ッ!」
最後の一振り。
レオンが聖剣を振り下ろした瞬間——
光った。
刃が、淡く。
一瞬だけ。
白い光が、刃こぼれだらけの聖剣の表面を走った。
「……!」
私は息を呑んだ。
レオンは——気づいていない。
汗だくで膝に手をつき、荒い息をしている。
「……今、剣が光りましたが」
「……はぁ……はぁ……知るかよ……」
「いえ。確かに光りました。聖剣が——」
「気のせいだろ……百回やったんだ……目がチカチカしてんだよ……」
——気のせいではない。
あれは聖なる光だ。
300年生きてきた魔族の私が見間違えるはずがない。
聖剣は覚醒の途上にある。
つまり——この少年に、その「条件」が揃い始めている。
聖剣覚醒の条件。
先代魔王の書庫で読んだ。一度だけ。忘れたことはない。
「守りたい人ができた時」。
——ザイツを焼いた光と、同じ光だ。
あの時の聖剣は完全に覚醒していた。あの勇者にも、守りたい人がいたのだろう。
この少年にも——もう、いるのか。
リーゼを。ガルドを。
そして恐らく——よしこ様を。
私が守るべき主を、勇者が守ろうとしている。
——それは脅威か。それとも。
私は何を育てているのだ。
魔王を守る勇者か。
魔王を倒す勇者か。
……わからない。
だが、わからないまま——
「もう百回やるぞ」
「はぁ!? マジかよ!」
「型は身体に刻め。考えるな。繰り返せ」
「……くそっ……わかったよ……!」
——もう少しだけ、教えてやることにした。
稽古が終わった。
レオンが地面に大の字に寝転がっている。
二百回の素振り。17歳の体にはきつかっただろう。
私も隣に——
いや、座った。地面に座るのは品位に欠けるが、立っているのも不自然だった。
「……よ」
声がした。
「二人ともお疲れさん(^^) ほら、食べ」
よしこ様が——
握り飯を持ってきた。
大きな竹の皮に包まれた、丸い握り飯。たくさん。
塩と、中に具が入っている。匂いで——肉味噌だとわかる。
「……いつからいらしたのですか」
「五十回目くらいから(^^) すごいやん、二人とも」
——見られていたのか。
勇者に剣を教えているところを。
「ヴェルちゃん、ありがとうな(^^) レオンくんに付き合ってくれて」
「ヴェルザです。——私は、ただ……見るに堪えなかっただけです」
「うんうん(^^) 優しいなぁ、ヴェルちゃんは」
「……優しさではございません」
——優しさなのかもしれない。
わからない。
レオンが起き上がって、握り飯を手に取った。
一口、かぶりついた。
「…………」
二口目。三口目。
「……うまい」
小声で言った。
よしこ様には聞こえないくらいの——
「ん(^^)?」
「何でもねぇ!」
「ふふ(^^) はいはい」
よしこ様が笑っている。
——聞こえている。絶対に聞こえている。
私も握り飯を手に取った。
一口。
塩の加減が、ちょうどいい。肉味噌が、稽古後の体に染みる。
「……美味でございます」
「よかった(^^) いっぱいあるで。ガルくんが肉味噌作ってくれたんや」
「ガルドが」
「うん。上手になったでぇ(^^)」
——勇者パーティの戦士が作った肉味噌を、四天王筆頭が美味いと食べている。
異様だ。
勇者と四天王が並んで握り飯を食べている。
中庭で。汗だくで。
300年——こんな光景は、一度もなかった。
先代魔王の時代。
食事は黙って摂るものだった。
味など関係なかった。栄養を補給する行為に過ぎなかった。
だが——今。
隣で勇者が握り飯を頬張っている。
向かいでよしこ様が笑っている。
握り飯の中の肉味噌は、18歳の戦士が作ったものだ。
「……不思議なものでございます」
「ん? 何が(^^)?」
「……いえ。何でもございません」
不快ではない。
それだけは——確かだ。
リーゼとガルドが中庭に来た。
リーゼの顔色はもう良くなっている。ガルドが「リーゼさん、無理しないで……」と付き添っている。
「リーゼちゃん、もう大丈夫なん?」
「……問題ない。握り飯、食べていい?」
「どうぞどうぞ(^^)」
リーゼが、レオンの隣に座った。
「……レオン。汗だく」
「……稽古した」
「……そう。頑張ったんだ」
「……別に」
リーゼが小さく笑った。
レオンが目をそらした。
ガルドがにこにこしながら握り飯を食べている。
「よしこさん、肉味噌の味、大丈夫でしたか……?」
「ばっちりやで(^^) ヴェルちゃんも美味いって言うてたで」
「ヴェルザです」
「ヴェ、ヴェルザさんが……! えへへ……」
足音がした。小さな、遠慮がちな足音。
ティアが——水の入った瓶を持ってきた。
「あ、あの……稽古の後は、喉が渇くかと思いまして……」
尻尾がもじもじ揺れている。
「おう……サンキュ」
レオンが何気なく言った。ティアの手から水を受け取りながら。
ティアが——固まった。
「…………」
尻尾が、ぴたりと止まった。
それから——ぱたぱたぱたぱた。
勇者に——お礼を言われた。
120年間、誰にも言われなかった「ありがとう」を。
「ど、どうも……し、失礼します……!」
ティアが小走りで去っていった。水瓶を置き忘れて。
「……何だあいつ。変な奴」
——変ではない。
あの子にとって、今のは——大きなことだったのだろう。
——六人で、握り飯を食べている。
雨上がりの中庭。
水たまりが光っている。
空はまだ曇っているが、雲の切れ間から薄日が差し始めた。
私は——
握り飯のもう一つに手を伸ばした。
「ヴェルちゃん、おかわり?(^^)」
「ヴェルザです。——はい。もう一つ、いただきます」
不快ではない。
むしろ——
この時間を、守りたいと思っている自分がいる。
勇者を鍛えたことが裏切りなのか。
それとも——
この食卓を守ることが、忠誠なのか。
答えは、まだ出ない。
だが——握り飯は、美味かった。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第17話「勇者の剣」。レオンとヴェルザの話です。
二百回の素振り。レオンは文句を言いながら全部やりました。この子は根性だけはある。そして百回目の最後の一振りで、聖剣が光った。レオン本人は気づいていません。でもヴェルザは見た。
聖剣覚醒の条件は「守りたい人ができた時」。レオンの中に、もうその気持ちがある。リーゼを、ガルドを、そしてよしこを——守りたいと思っている。本人は絶対に認めないでしょうけど。
ヴェルザの葛藤が好きです。勇者に剣を教えることは、魔族への裏切りかもしれない。でも、よしこなら「教えたれ」と言う。そしてヴェルザは教えてしまう。300年の忠誠と、今この場所にある温かさの間で揺れている。
最後のヴェルザの独白——「この食卓を守ることが、忠誠なのか」。まだ答えは出ない。でも握り飯は美味い。それだけが確かなこと。この物語は、答えが出ない問いを食卓の上に置いたまま進んでいきます。
次回、第18話「策士と令嬢」。メルがリーゼに魔法を教え始めます。そしてティアの120年の空白に、策士が初めて計算なしで怒ります。
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