◆メル視点
——あの娘、気づいていない。
勇者パーティの魔法使い。リーゼ。
昨日、中庭ですれ違った時に感じた。魔力の質が——異常に高い。16歳の人間にしては、あり得ない密度。しかも本人がまるで自覚していない。
原石。極上の。
放っておくのは勿体ない。
わたくしは策士でございますわ。磨けるものは磨く。それが合理というもの。
魔王城の東塔。古い練習場。
壁に防護の魔法陣が刻まれている。多少の暴発なら問題ない。
リーゼは——もう来ていた。
「あら。早いのですね」
「……あなたが来いと言った」
「ええ。お教えしてやってもいい、と申し上げましたわ」
リーゼがこちらを見ている。薄い青の目。感情が読めない。
——いえ。読める。警戒している。
「……なぜ」
「なぜ、とは?」
「なぜ私に魔法を教える。四天王が、勇者パーティの魔法使いに」
ふふ。いい質問ですわ。
「理由が三つございます。一つ、あなたの魔力の質が高い。放置するのは合理的でない。二つ、教えることはわたくし自身の復習にもなる。三つ——」
「……三つ?」
「退屈でしたの」
リーゼが一瞬だけ、目を細めた。
——笑った? いえ、気のせいでしょう。
「……わかった。ただし、おかしなことをしたら——」
「しませんわ。わたくし、嘘はつきますけれど、魔法に関しては正直でございます」
「……嘘はつくんだ」
「ええ。もちろん」
堂々と言い切ったら、リーゼが少しだけ肩の力を抜いた。
——ほう。この子、正直な悪人のほうが信用できるタイプですわね。
「では始めましょう。普段使っている魔法を見せてください」
リーゼが右手をかざした。淡い光。分析魔法だ。
——なるほど。
魔力の総量は申し分ない。質も高い。
だが、回路が歪んでいる。自己流で覚えたのだろう。
「止めて。——リーゼ殿、あなたの魔力回路、左腕から肩にかけて詰まっていますわ。魔力のロスが三割」
「……三割」
「直しましょう。右手を上げて——そう。肘の角度を変えて。もう少し内側。——そこ。そのまま、もう一度」
リーゼが魔法を発動した。
光が——さっきの倍、明るくなった。
「……!」
「これが本来のあなたの出力ですわ」
リーゼが自分の手を見つめている。光が消えてもまだ、指先を見ている。
「——次。魔力の圧縮と展開の切り替え」
「……教えて」
素直に「教えて」と言いましたわね。この子、興味のあることには正直なのだ。
それから半刻ほど、基礎の反復を続けた。
リーゼの吸収力は凄まじかった。一度教えたことは二度目にはできている。三度目には応用し始める。
「……リーゼ殿。あなた——才能がございますわ。本物の」
素で言った。策士の計算でなく。純粋な感嘆として。
リーゼが——少しだけ目をそらした。
「……別に」
耳が赤い。
◆リーゼ視点
——この人の教え方は、的確だ。
メル。策士。腹黒。信用できない。
でも——魔法に関しては本物だ。
教会の魔法は「型を覚えろ」だった。理由は教えてもらえなかった。
メルは違う。なぜそうなるのか、構造を説明する。理屈がわかると、体が勝手に動く。
半刻で——自分の魔法が別物になった。
「……もう一回。圧縮のところ」
「——ふふ。欲が出てきましたわね」
メルが笑っている。いつもの胡散臭い笑みと——少しだけ、違う。
練習場の扉が開いた。
「あ、あの……お、お茶をお持ちしました……」
ティアだ。
侍女服。三つ編み。小さな角が前髪に隠れている。
盆の上に、湯気の立つティーポットと三つの茶器。
「……あら。侍女殿」
「は、はい……メル様がこちらにいらっしゃると聞いて……練習場はお茶がないので……」
尻尾がピーンと立っている。緊張しているのだ。
メルが茶器を受け取った。一口飲んだ。
「…………」
沈黙。
「……悪くない」
ティアの尻尾がぴくりと揺れた。
私も一口飲んだ。
温かい。苦くない。ほんのり甘い。
「……美味しい」
小声で言った。
ティアの尻尾がパタパタと揺れた。本人は気づいていない。
◆ティア視点
メル様が——お茶を「悪くない」と言ってくださった。
リーゼ様が「美味しい」と。
嬉しい。
よしこ様以外に、そう言ってもらえたのは初めてだ。
片付けをしようとしたら——
「侍女」
メル様の声。
びくっとした。
「は、はい……!」
「一つ聞いてもよろしくて?」
「は、はい……な、何でございましょう……」
メル様が茶器を置いた。淡い紫の目がこちらを見ている。いつもの微笑み。
「お前は——120年、この城で何をしていたの?」
「……え」
何を、と聞かれた。
「……お掃除と、お洗濯と……」
「120年も?」
「は、はい……あと、お城のお手入れと……」
「他には?」
「…………」
他には。
他には——何をしていただろう。
「……ありません」
声が小さくなった。
尻尾が下がった。
「120年——お掃除と、お洗濯だけ? 誰かと話したり、名前を呼ばれたり——」
「……先代魔王様は、侍女に……ご興味がありませんでしたので……」
「つまり、120年——名前を呼ばれたことも?」
「…………」
答えられなかった。
答えは——「ない」だ。
◆メル視点
ティアが黙った。
尻尾が——小さく、震えていた。
「…………」
わたくしは茶器を見つめた。
この茶は——丁寧に淹れてある。温度も抽出時間も適切。120年の独学か。
120年、名前も呼ばれず——掃除と洗濯だけを。
——馬鹿か、この城は。
先代魔王も。四天王も。城にいた全員が。
いや。
……俺も呼んだことがなかった。
——。
一瞬、思考が止まった。
わたくし——今、「俺」と。
「……メル様?」
リーゼの声が聞こえた。
「……ええ。何でもございませんわ」
微笑む。いつものように。
——だが。いつもの微笑みが、うまく作れなかった。
目が笑っていない。自分でわかる。
これは——怒り?
わたくしが? 計算なしに?
策士は怒らない。感情で動くのは三流。そう決めて180年生きてきた。
なのに——
「ティア」
名前を呼んだ。
ティアが——びくっと肩を震わせた。
「は……はい……?」
呼ばれ慣れていない。名前を。
よしこ様以外に呼ばれたことが、たぶん——ない。
「明日もお茶を持ってきなさい。同じ時間に。同じ淹れ方で」
「え……あ……は、はい……?」
「このお茶は——悪くないと言ったでしょう。わたくし、美味しいものは繰り返し飲みたいの」
ティアの目が、丸くなった。
尻尾が——パタ、パタ、と揺れ始めた。
「は……はいっ……! 明日も、お持ちします……!」
「よろしい」
ティアが盆を抱えて、ぱたぱたと練習場を出ていった。尻尾が最後まで揺れていた。
練習場に、二人。
リーゼがこちらを見ている。
「……メル」
「何でしょう」
「……目、怒ってた」
「——あら。何のことかしら」
「ティアの話を聞いてる時。目が笑ってなかった」
「…………」
この子は——厄介ですわね。
16歳のくせに、よく見ている。
「わたくしは策士でございますわ。怒りで動くような——」
「嘘。さっき自分で言った。嘘はつくって」
「…………」
——一本取られた。
わたくしは溜息をついた。
芝居ではなく。本物の溜息。
「……120年ですわよ、リーゼ殿」
「……うん」
「120年、掃除と洗濯だけ。名前も呼ばれない。それは——」
言葉を探した。
策士の語彙で、この感情を表現する言葉が——見つからない。
「——不合理ですわ」
それだけ言った。
それしか、言えなかった。
リーゼが——小さく頷いた。
「……明日も、来ていい?」
「何をおっしゃるの。来なさい。あなたの魔法、まだまだ直すところだらけですわ」
「……そう」
リーゼが——ほんの少しだけ、口角を上げた。
「……メルの教え方、わかりやすい」
「当然ですわ。わたくし、魔法に関しては正直でございますもの」
リーゼが練習場を出ていった。
一人になった。
お茶の残りを飲んだ。
冷めていたが——まだ美味かった。
120年。
掃除と洗濯。
名前も呼ばれず。
——馬鹿か、この城は。いや……俺も呼んだことがなかった。
また「俺」が出た。
180年間の仮面が——こんなことで揺らぐとは。
……よしこ様。
あなたが最初にティアの名前を呼んだのですね。
わたくしは——2番目でございましたか。
悔しいのか。安堵なのか。
わからない。
策士なのに——わからないことが多すぎる。この城に来てから。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第18話「策士と令嬢」。メルとリーゼ、そしてティアの話です。
メルの「計算なしの怒り」——これがこのエピソードの核です。180年間、策士として生きてきたメルが初めて、損得を計算せずに腹を立てた。「120年、名前も呼ばれず」。その事実に対して、理屈ではなく感情で反応してしまった。普段は「わたくし」で完璧に取り繕っているのに、内心で「俺」が漏れる。仮面が外れた瞬間です。
リーゼとメルの師弟関係も、ここから始まります。メルの教え方が的確で、リーゼの吸収力が凄まじい。知的な二人が魔法を通じて繋がっていく。お互い素直じゃないけれど、「明日も来ていい?」「来なさい」——この距離感が好きです。
次回、第19話「先代魔王の部屋」。メルの怒りの先にあるもの。そしてこの城の過去が少しずつ見えてきます。
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