◆レオン視点
昼前だった。
ヴェルザとの剣の稽古を終えて、汗を拭きながら廊下を歩いていたら——聞こえた。
「——王都で、勇者捜索の動きがございますわ」
足が止まった。
食堂の扉が少し開いている。隙間から声が漏れてくる。
メルの声だ。あの、いつも笑っているくせに目だけ笑っていない四天王第三席。
「わたくしの諜報網が捉えた情報でございます。聖教会が調査隊の編成に着手したと。精鋭の聖騎士を集めているようですわ」
「……いつ頃来る?」
よしこの声。珍しく——関西弁じゃない。真面目な声。
「早ければ数日。遅くとも十日以内かと」
「そうか……」
「魔王様。迎撃の——」
「メルちゃん」
「……は?」
「お茶、飲む?(^^)」
「…………は?」
メルの声が素に戻った。一瞬だけ。すぐに取り繕う。
「……あ、あら。ええ。いただきますわ」
「ふふ(^^) ほな淹れるわ」
——あ。関西弁、漏れた。
俺は廊下に立ったまま、動けなかった。
勇者捜索。
調査隊。
聖騎士。
——俺たちを、連れ戻しに来る。
手が——剣の柄を掴んでいた。いつの間にか。
腰の聖剣。刃こぼれだらけの、古い剣。
握る手が白くなるほど力を込めて——それでも、震えが止まらない。
恐怖じゃない。
怒りでもない。
——わからない。体だけが先に、何かに気づいている。
気づいたら、中庭にいた。
◆レオン視点
中庭の端。石のベンチに座った。
魔王城の中庭は、よしこが来てから変わった。
雑草だらけだったのを、ティアとガルドが手入れして、今は小さな花壇まである。ガルドが「ハーブを育てたいんです」って言い出して、よしこが「ええなぁ(^^)」って応援して——今じゃ、料理に使うハーブが何種類か育ってる。
花の匂いがする。
風が柔らかい。
——こんな場所、王都にはなかった。
「…………」
空を見上げた。
聖騎士が来る。
教会の人間が来る。
「勇者レオン」を連れ戻しに来る。
——俺は、勇者だ。
教会で聖剣を授かった。「魔王を倒してこい」と送り出された。
旅支度なんてなかった。防寒着もなかった。食料も三日分しかもらえなかった。
それでも俺は勇者で——聖剣を持って、リーゼとガルドと一緒に、魔王城まで歩いてきた。
倒すはずだった。
魔王を。
——倒さなかった。
代わりにごはんを食べた。字を習った。剣の稽古をつけてもらった。
「おはよう」って言われて、「おやすみ」って言われた。
頭を撫でられた。「えらいな」って言われた。
「……俺、勇者なのに」
声に出して呟いた。
誰もいない中庭。花壇のハーブが風に揺れてる。
勇者が魔王城でごはんを食べて、字を習って——
それで、「帰りたくない」って思ってる。
おかしいだろ。
おかしいのに——
足音が聞こえた。
「レオンくん」
——よしこの声。
「……なんだよ」
振り返らなかった。
よしこが隣に座った。石のベンチがきしんだ。
「ここ、ええ場所やな(^^) ガルくんのハーブ、育っとるわ」
「……聞いたのか」
「ん?」
「メルの話。調査隊が来るって」
「ああ」
よしこが笑った。
「聞いてたんやな。聞き耳はあかんで(^^)」
「……たまたまだ」
「ふふ(^^)」
沈黙。
風が吹いた。
花壇の匂い。夕方の陽が、魔王城の壁を赤く染めていく。
「……俺たち、帰らなきゃいけないのか?」
言った。
自分でも驚くくらい、小さい声で。
「帰りたいん?(^^)」
よしこが聞いた。
当たり前みたいに。軽く。
「……帰りたくねぇ」
——言っちまった。
初めて、口に出した。
帰りたくない。
王都に。教会に。あの冷たい場所に。
「ほな、帰らんでええやん(^^)」
「…………え」
「帰りたくないなら、帰らんでええ」
よしこが笑っていた。
いつもの顔。当たり前みたいに。
「でも——俺は勇者で——」
「勇者やから何?」
「……え」
◆よしこ視点
わては——ちょっとだけ黙った。
この子の顔を見た。
ハンバーグを三個おかわりした時の顔。字が一つ書けた時の顔。ヴェルちゃんの稽古で百回振り終えた時の顔。
全部、同じ顔やった。一生懸命で、不器用で、素直やない——でも、ちゃんとやる子の顔。
「あんたはレオンくんや。それだけやで(^^)」
「…………」
胸の奥が、ぎゅっとなった。
勇者レオン。
ずっとそう呼ばれてきた。
「勇者」が俺の名前みたいだった。教会でも、旅の途中でも、出会う人は全員「勇者様」って呼んだ。
レオン、って名前で呼んでくれたのは——リーゼとガルドと、それから——
「——レオンくんは、レオンくんや(^^) 勇者でも、戦士でも、魔法使いでもなくて。ただの、レオンくん」
「…………」
目の奥が、熱くなった。
泣くもんか。
絶対泣かない。
俺は勇者——じゃなくて——俺は——
「……うるせぇよ」
「ん?(^^)」
「……うるせぇ……」
ぐっと堪えた。
歯を食いしばった。
拳を握った。
泣かなかった。
でも——ぎりぎりだった。
「……レオンくん」
「……なんだよ」
「今日の夕ご飯、あんたの好きなやつにするわ(^^)」
「……別に、好きなもんなんてねぇし」
「ほんまに? この前、ハンバーグ食べた時、三個おかわりしとったやん(^^)」
「……し、してねぇし」
「しとったで。ガルくんが数えとった(^^)」
「あいつ……!」
——くそ。
よしこが立ち上がった。
「ほな、作ってくるわ(^^) レオンくん、手ぇ洗ってから来るんやで」
「……わかったよ」
よしこが歩いていく。
鼻歌が聞こえる。
いつもの、なんかよくわからん歌。
俺は——中庭のベンチに座ったまま、空を見た。
夕方の空。赤と紫。
帰らなくていい——って、あの人は言った。
帰らなくて、いいのか。
……ここにいて、いいのか。
花壇のハーブが揺れた。
ガルドが植えて、ティアが水をやって、よしこが「きれいやなぁ」って笑うハーブ。
——ここにいたい。
帰りたくない。
ここにいたい。
「…………」
立ち上がった。
手を洗いに行く。
夕飯の前に。
——よしこに言われたから、じゃない。
自分で、そうしたいから。
◆よしこ視点
夕ご飯。
ハンバーグや。
でっかいやつ。レオンくんが好きなやつ。
「今日はハンバーグやで(^^) ガルくん、玉ねぎ炒めてくれてありがとな」
「えへへ……僕、玉ねぎ炒めるの上手くなりました……!」
「上手なっとる(^^) きつね色、ばっちりやで」
食卓に皿を並べる。
ハンバーグ。付け合わせのじゃがいも。サラダ。ガルくんのスープ。パン。
——レオンくんが来た。
「……」
黙って座る。
でも——ちゃんと手を洗ってきたな。髪も少し整えとる。
「レオンくん、今日はハンバーグやで(^^)」
「……知ってる。匂いでわかる」
「ふふ(^^) ほな、いただきます」
「いただきます」
みんなで食べる。
「……」
レオンくんがハンバーグを一口食べた。
止まった。
もう一口。
もう一口。
「……おかわり」
「はいはい(^^)」
二個目を渡す。
「……もう一個」
「はいどうぞ(^^)」
三個目。
「…………もう一個」
「四個目?(^^) よう食べるなぁ」
「……うるせぇ。腹減ってんだよ」
リーゼちゃんが小さく笑った。
ガルドが「レオン、僕のスープも飲んでよ」って嬉しそう。
ピプが「ボクも! ボクもおかわり!」って叫んどる。
ヴェルちゃんが「ピプ殿、行儀よく」って言いながら、自分も二個目に手を伸ばしとる。
「ヴェルちゃん、おかわりどうぞ(^^)」
「——ヴェルザです。……いただきます」
ふふ(^^)
みんなで食べる夕ご飯。
これが、わてのやりたいことや。
レオンくんが——さっき、泣きそうやった。
泣かんかったけど。あの子は泣かへん子や。ぐっと堪える子。
でもな、レオンくん。
帰りたくないなら、帰らんでええねん。
あんたの居場所は、あんたが決めるもんや。
調査隊が来ても——
ま、そん時はそん時や(^^)
◆レオン視点
夜。
自分の部屋。
ベッドの上で、字の練習帳を開いた。
よしこが作ってくれた練習帳。
「あ」から始まって、今は「さ」行まで進んだ。
カタカナも少し書ける。
簡単な言葉なら、読める。
——手紙、って書けるかな。
ペンを取った。
「て」——書けた。
「がみ」——合ってるか? わからん。
消した。
もう一回。
……誰に書くんだ、俺は。
教会には書きたくない。
王都にも書きたくない。
——じゃあ誰に。
考えた。
長い間、考えた。
ペンを持ったまま、紙を見つめた。
書きたい言葉がある。
でも、まだ書けない。
俺は——「お」を書いた。
次に「う」を書いた。
「おう」
——そこで、止まった。
続きが書けない。
書きたいのに。
「おうち」——って、書きたかった。
ここが、おうちだって。
でも、まだ書けない。
字が足りない。気持ちも足りない。
練習帳を閉じて、枕元に置いた。
天井を見上げる。
——明日も、字の練習をしよう。
いつか、書けるようになったら。
そしたら——
「……おやすみ」
誰にともなく、呟いた。
窓の外で、月が光っていた。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第22話「手紙」。レオンが初めて「帰りたくない」と口に出した話です。
レオンはずっと「勇者」でした。それ以外の名前で呼ばれたことがなかった。教会でも旅先でも「勇者様」。自分の名前が、肩書きに飲み込まれていた。
よしこは言いました。「あんたはレオンくんや。それだけやで(^^)」——シンプルな言葉です。でも、レオンにとっては初めて「勇者」じゃなく「レオン」として認めてもらった瞬間だったかもしれません。
ラストの練習帳。「おう」で止まった二文字。「おうち」と書きたかったのに、まだ書けない。字が足りないんじゃなくて、気持ちの整理がまだ追いついていない。でも、書こうとした。それだけで十分です。
次回、第23話「満月の夜」。普段はみんなの太陽であるよしこが、一人きりで月を見つめる夜。62歳の人生を——静かに振り返ります。いつもとは少し違う、よしこの物語です。
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