S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第23話: 満月の夜

第2アーク · 4,246文字 · draft

◆よしこ視点

——夜中や。

みんな寝た。

レオンくんは夕飯の後、字の練習しとった。最近はわてが言わんでも自分からやるようになった。

リーゼちゃんはメルちゃんに借りた魔法書を読んどった。難しい顔しとったけど、目は輝いとった。

ガルくんは明日の朝食の仕込みをしてから寝た。「明日はシチューにしたいんです」って、張り切っとった。

ピプは——よしこの膝の上で寝落ちした。ヴェルちゃんが抱えて連れて行ってくれた。

みんな寝た。

城が、静かや。

わては——バルコニーに出た。


月が出とる。

まんまるい月や。

こっちの世界にも、月があるんやな。

形も色も、前の世界と変わらへん。

石の手すりに手を置いた。

冷たい。

夜風が頬を撫でる。

——ひとりや。

ひとりの時間は、久しぶりやな。

ここに来てから、ずっと誰かと一緒やった。朝から晩まで、誰かがおる。レオンくんが「うるせぇ」って言って、リーゼちゃんが静かに座っとって、ガルくんが「えへへ」って笑って、ピプが膝に乗ってきて。

ヴェルちゃんが溜息ついて、ドルガくんが「食い物はあるのか」って聞いてきて、メルちゃんが上品に笑って、ティアちゃんが尻尾パタパタして。

賑やかや。

毎日が賑やかで、忙しくて、楽しい。

——でも。

夜になると。

ひとりになると。

思い出す。


わて、62歳やねん。

田中よしこ。大阪生まれ。大阪育ち。

20歳で保育士になった。

それから40年間——ずっと、保育園におった。

何人の子を見てきたやろう。

何百人やろか。何千人かもしれへん。

入園式。泣きじゃくる子。お母さんにしがみつく子。

最初はみんな泣くねん。

「帰りたい」「お母さんがいい」って。

でもな。

一週間もしたら、笑うようになる。

友達ができる。好きな遊びを見つける。給食を残さず食べるようになる。

「よしこ先生」って呼ばれるのが、一番嬉しかった。

何百回も聞いた。「よしこせんせー!」って。

靴の紐が結べた時。お絵描きが上手にできた時。お友達と仲直りできた時。

みんな、よしこ先生を呼んでくれた。

——そして、卒園していった。

卒園式。

小さい椅子に座って、名前を呼ばれて、証書を受け取って。

泣いてる子。笑ってる子。

わては毎年泣いた。

40回泣いた。

送り出した子が、小学校に行って、中学校に行って、高校に行って——

たまに、大人になった子が保育園に来てくれることがあった。

「よしこ先生、覚えてますか」って。

覚えとるよ。全員、覚えとる。

あんたが三歳の時、砂場でプリン作ったやん。

あんたが四歳の時、跳び箱跳べるようになって泣いたやん。

全部、覚えとる。

——わては、覚えとるのが仕事やった。


定年退職の日。

62歳。

最後の卒園式の後——保育園のみんなが寄せ書きをくれた。

「よしこ先生、40年間ありがとうございました」

若い先生たちが泣いとった。

園長が泣いとった。

保護者さんが花束をくれた。

わても泣いた。

ぼろぼろ泣いた。

「よしこ先生のおかげで、うちの子は保育園が大好きでした」

「先生に会えて良かったです」

「また遊びに来てくださいね」

——嬉しかった。

40年間、間違ってなかった。

子どもたちの笑顔を守る仕事を、40年間やってこれた。

それだけで——十分や。

そう思って、保育園を出た。


孫がおった。

娘の子。

ゆうくん。三歳。

「ばーば!」

って、呼んでくれた。

小さい手で、わての手を引っ張って。

「ばーば、こっち!」「ばーば、見て!」「ばーば、抱っこ!」

踏切で電車が通るたびに「でんしゃ! でんしゃ!」って叫んで、わての手をぶんぶん振り回す子やった。帰りたがらへんくて、三回同じ踏切を往復した。

三歳児のパワーは、62歳のわてにはきつかった。

でも嬉しかった。

保育園の子どもたちを送り出して——今度は、自分の孫がおる。

まだまだ、子どもと一緒におれる。

退職して一ヶ月。

孫の写真を見に、娘の家に行く途中で——

——覚えてない。

気づいたら、ここやった。

魔王の体。知らない世界。知らない言葉。

もう——

ばーばって呼んでくれる声は、聞こえへん。


月を見上げた。

こっちの月は、前の世界と同じ形をしとる。

同じ月を、あの子も見とるんやろうか。

……見てへんか。三歳やもんな。夜は寝とる時間や。

「…………」

涙が、出た。

ひとりの時だけや。泣くのは。

みんなの前では泣かへん。泣いたら、あの子らが心配する。

レオンくんが困った顔するし、ガルくんが泣くし、リーゼちゃんが黙ってしまうし、ピプが「よしこ、どうしたの」って駆けてくる。

だから——ひとりの時だけ。

「……寂しいなぁ」

声に出した。

小さく。(^^)が出えへん。みんなの前では勝手に出てくるのに、ひとりになったら——出てこおへん。

寂しい。

ほんまに、寂しい。

62年間生きてきて——こんなに遠くに来てしまった。

もう戻れへん。

娘にも、孫にも、会えへん。

保育園の子たちにも。先生たちにも。

あの寄せ書きも、もう手元にない。

全部、あっちの世界に置いてきた。

「…………」

涙を拭いた。

月が滲んだ。

——でもな。

ここにも——子どもがおる。

レオンくん。17歳。ぶっきらぼうで素直じゃなくて、でも字を一生懸命覚えとる子。

リーゼちゃん。16歳。静かで、食べなくて、でも最近「美味しい」って言えるようになった子。

ガルくん。18歳。優しすぎて戦えなくて、でも料理の才能がある子。

ピプ。80歳やけど中身は子ども。膝の上が好きで、おやつの時間になると目が輝く子。

みんな——わての園児や。

年齢も種族もバラバラやけど。

ごはんを作って、「えらいな」って言って、「おやすみ」って言う。

やることは、保育園と同じや。

40年間やってきたことと、同じ。

「…………」

涙を拭いた。

もう一回、月を見た。

まんまるい。きれいな月や。

泣いてもしゃあない。

泣いても、あっちの世界には戻れへん。

泣いても、孫の声は聞こえへん。

でも——

朝が来る。

朝が来たら、レオンくんが不機嫌な顔で起きてくる。

リーゼちゃんが静かに席に座る。

ガルくんが「今日のスープは——」って張り切る。

ピプが「よしこー! おはよー!」って飛んでくる。

ヴェルちゃんが「おはようございます、魔王様」って頭を下げる。

ドルガくんが「……朝飯はまだか」って言う。

メルちゃんが「おはようございます」って微笑む。

ティアちゃんが尻尾パタパタさせながら「お、おはようございます」って言う。

——みんなが、おはようって言ってくれる。

「……泣いてもしゃあないな」

鼻をすすった。

「朝になったら——おはよう、言わな(^^)」

自分に言い聞かせた。

62年間、ずっとそうしてきた。

泣いた次の日も。辛かった日の次の朝も。

保育園に行って、門の前に立って——

「おはよう(^^)」

——って、言ってきた。

40年間。

毎日。

それだけは、変わらへん。

ここでも、あっちでも。

田中よしこは——朝が来たら「おはよう」を言う人間や。


足音がした。

小さな、遠慮がちな足音。

「……よしこ様」

ティアちゃんの声。

振り返った。

ティアちゃんが毛布を抱えて立っとる。三つ編みが少し乱れとる。寝てたんやな、この子。

「……お体に障ります。夜風が冷えますので……」

尻尾が——心配そうに、ゆっくり揺れとる。

「……ティアちゃん、起こしてもうたか。ごめんな(^^)」

「い、いえ……わ、わたしが気づいたので……」

ティアちゃんが毛布をわての肩にかけてくれた。

丁寧に。そっと。

——温かい。

「ありがとうな、ティアちゃん(^^)」

「…………」

ティアちゃんが、何も言わずに隣に立った。

尻尾が——いつものパタパタやない。ゆっくり、ゆっくり揺れとる。心配しとる時のリズムや。この子の尻尾は、いつも本人より先に気持ちを伝えてくれる。

しばらく、二人で黙って月を見た。

長い沈黙やった。でも、嫌な沈黙やない。

「……よしこ様」

「ん?」

「……泣いて、おられましたか」

「…………」

バレとったか。

しゃあないな。この子は気配りの子やから。

「……ちょっとだけな(^^)」

「…………」

ティアちゃんの尻尾が、ぴたりと止まった。

それから——そっと、わての隣に立った。

何も言わない。

ただ、隣にいてくれた。

「…………」

——ええ子やな、この子。

わてが泣いてる理由なんか聞かへん。

ただ毛布を持ってきて、隣に立つ。

それだけ。

——保育園にもおったな、こういう子。

先生が泣いてたら、黙ってティッシュを差し出してくれる子。

「……ティアちゃん」

「は、はい……」

「もう寝よか(^^) 明日も朝早いし」

「……はい」

「おやすみ(^^)」

ティアちゃんが小さくお辞儀をした。

「……おやすみなさい、よしこ様」

尻尾が——パタパタと揺れた。

ティアちゃんが廊下に消えていく。

小さな足音が遠ざかる。

わては——毛布を肩にかけたまま、もう一度、月を見た。

まんまるい月。

62歳。

喜びも、悲しみも、寂しさも、全部抱えて——ここにおる。

あっちの世界で40年間やってきたことを、こっちの世界でもやる。

それだけや。

朝が来る。

朝が来たら——

「……おやすみ(^^)」

月に向かって言った。

あの子に届くかな。

ばーばは元気にやっとるで——って。

届かへんか。

でもええ。

言うだけ言うとこ。

「……おやすみ。また明日な(^^)」

バルコニーを離れた。

部屋に戻る。

毛布が温かい。

——明日の朝。

みんなに「おはよう」を言う。

それが、わての仕事や。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第23話「満月の夜」。Arc2で唯一の、よしこ一人の話です。

書いていて、一番苦しかった話です。

よしこは普段、みんなの太陽です。(^^)を振りまいて、ごはんを作って、「えらいな」って褒めて。でも——この人にも、泣く夜がある。62歳の人生の重みがある。前の世界に残してきたものがある。

保育士を40年やってきたこと。何百人もの子どもたちを送り出してきたこと。定年退職の日の寄せ書き。——そして、「ばーば」と呼んでくれた孫のこと。

もう会えない。

それでも朝が来たら「おはよう」を言う。それが田中よしこという人間です。泣いた次の日も。辛い日の翌朝も。保育園の門の前に立って、「おはよう(^^)」と言い続けた。40年間。

ティアが毛布を持ってきてくれるシーンが好きです。何も聞かない。ただ隣にいる。それが、一番の優しさだと思います。

次回、第24話「お客さんが来る」。Arc2最終話です。調査隊が近づいてくる。ヴェルザ「迎撃を」。よしこ「なんで? お客さんやで(^^)」。魔王城が宴会の準備を始めます。

ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒に泣いて喜びます(^^)

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