◆よしこ視点
——夜中や。
みんな寝た。
レオンくんは夕飯の後、字の練習しとった。最近はわてが言わんでも自分からやるようになった。
リーゼちゃんはメルちゃんに借りた魔法書を読んどった。難しい顔しとったけど、目は輝いとった。
ガルくんは明日の朝食の仕込みをしてから寝た。「明日はシチューにしたいんです」って、張り切っとった。
ピプは——よしこの膝の上で寝落ちした。ヴェルちゃんが抱えて連れて行ってくれた。
みんな寝た。
城が、静かや。
わては——バルコニーに出た。
月が出とる。
まんまるい月や。
こっちの世界にも、月があるんやな。
形も色も、前の世界と変わらへん。
石の手すりに手を置いた。
冷たい。
夜風が頬を撫でる。
——ひとりや。
ひとりの時間は、久しぶりやな。
ここに来てから、ずっと誰かと一緒やった。朝から晩まで、誰かがおる。レオンくんが「うるせぇ」って言って、リーゼちゃんが静かに座っとって、ガルくんが「えへへ」って笑って、ピプが膝に乗ってきて。
ヴェルちゃんが溜息ついて、ドルガくんが「食い物はあるのか」って聞いてきて、メルちゃんが上品に笑って、ティアちゃんが尻尾パタパタして。
賑やかや。
毎日が賑やかで、忙しくて、楽しい。
——でも。
夜になると。
ひとりになると。
思い出す。
わて、62歳やねん。
田中よしこ。大阪生まれ。大阪育ち。
20歳で保育士になった。
それから40年間——ずっと、保育園におった。
何人の子を見てきたやろう。
何百人やろか。何千人かもしれへん。
入園式。泣きじゃくる子。お母さんにしがみつく子。
最初はみんな泣くねん。
「帰りたい」「お母さんがいい」って。
でもな。
一週間もしたら、笑うようになる。
友達ができる。好きな遊びを見つける。給食を残さず食べるようになる。
「よしこ先生」って呼ばれるのが、一番嬉しかった。
何百回も聞いた。「よしこせんせー!」って。
靴の紐が結べた時。お絵描きが上手にできた時。お友達と仲直りできた時。
みんな、よしこ先生を呼んでくれた。
——そして、卒園していった。
卒園式。
小さい椅子に座って、名前を呼ばれて、証書を受け取って。
泣いてる子。笑ってる子。
わては毎年泣いた。
40回泣いた。
送り出した子が、小学校に行って、中学校に行って、高校に行って——
たまに、大人になった子が保育園に来てくれることがあった。
「よしこ先生、覚えてますか」って。
覚えとるよ。全員、覚えとる。
あんたが三歳の時、砂場でプリン作ったやん。
あんたが四歳の時、跳び箱跳べるようになって泣いたやん。
全部、覚えとる。
——わては、覚えとるのが仕事やった。
定年退職の日。
62歳。
最後の卒園式の後——保育園のみんなが寄せ書きをくれた。
「よしこ先生、40年間ありがとうございました」
若い先生たちが泣いとった。
園長が泣いとった。
保護者さんが花束をくれた。
わても泣いた。
ぼろぼろ泣いた。
「よしこ先生のおかげで、うちの子は保育園が大好きでした」
「先生に会えて良かったです」
「また遊びに来てくださいね」
——嬉しかった。
40年間、間違ってなかった。
子どもたちの笑顔を守る仕事を、40年間やってこれた。
それだけで——十分や。
そう思って、保育園を出た。
孫がおった。
娘の子。
ゆうくん。三歳。
「ばーば!」
って、呼んでくれた。
小さい手で、わての手を引っ張って。
「ばーば、こっち!」「ばーば、見て!」「ばーば、抱っこ!」
踏切で電車が通るたびに「でんしゃ! でんしゃ!」って叫んで、わての手をぶんぶん振り回す子やった。帰りたがらへんくて、三回同じ踏切を往復した。
三歳児のパワーは、62歳のわてにはきつかった。
でも嬉しかった。
保育園の子どもたちを送り出して——今度は、自分の孫がおる。
まだまだ、子どもと一緒におれる。
退職して一ヶ月。
孫の写真を見に、娘の家に行く途中で——
——覚えてない。
気づいたら、ここやった。
魔王の体。知らない世界。知らない言葉。
もう——
ばーばって呼んでくれる声は、聞こえへん。
月を見上げた。
こっちの月は、前の世界と同じ形をしとる。
同じ月を、あの子も見とるんやろうか。
……見てへんか。三歳やもんな。夜は寝とる時間や。
「…………」
涙が、出た。
ひとりの時だけや。泣くのは。
みんなの前では泣かへん。泣いたら、あの子らが心配する。
レオンくんが困った顔するし、ガルくんが泣くし、リーゼちゃんが黙ってしまうし、ピプが「よしこ、どうしたの」って駆けてくる。
だから——ひとりの時だけ。
「……寂しいなぁ」
声に出した。
小さく。(^^)が出えへん。みんなの前では勝手に出てくるのに、ひとりになったら——出てこおへん。
寂しい。
ほんまに、寂しい。
62年間生きてきて——こんなに遠くに来てしまった。
もう戻れへん。
娘にも、孫にも、会えへん。
保育園の子たちにも。先生たちにも。
あの寄せ書きも、もう手元にない。
全部、あっちの世界に置いてきた。
「…………」
涙を拭いた。
月が滲んだ。
——でもな。
ここにも——子どもがおる。
レオンくん。17歳。ぶっきらぼうで素直じゃなくて、でも字を一生懸命覚えとる子。
リーゼちゃん。16歳。静かで、食べなくて、でも最近「美味しい」って言えるようになった子。
ガルくん。18歳。優しすぎて戦えなくて、でも料理の才能がある子。
ピプ。80歳やけど中身は子ども。膝の上が好きで、おやつの時間になると目が輝く子。
みんな——わての園児や。
年齢も種族もバラバラやけど。
ごはんを作って、「えらいな」って言って、「おやすみ」って言う。
やることは、保育園と同じや。
40年間やってきたことと、同じ。
「…………」
涙を拭いた。
もう一回、月を見た。
まんまるい。きれいな月や。
泣いてもしゃあない。
泣いても、あっちの世界には戻れへん。
泣いても、孫の声は聞こえへん。
でも——
朝が来る。
朝が来たら、レオンくんが不機嫌な顔で起きてくる。
リーゼちゃんが静かに席に座る。
ガルくんが「今日のスープは——」って張り切る。
ピプが「よしこー! おはよー!」って飛んでくる。
ヴェルちゃんが「おはようございます、魔王様」って頭を下げる。
ドルガくんが「……朝飯はまだか」って言う。
メルちゃんが「おはようございます」って微笑む。
ティアちゃんが尻尾パタパタさせながら「お、おはようございます」って言う。
——みんなが、おはようって言ってくれる。
「……泣いてもしゃあないな」
鼻をすすった。
「朝になったら——おはよう、言わな(^^)」
自分に言い聞かせた。
62年間、ずっとそうしてきた。
泣いた次の日も。辛かった日の次の朝も。
保育園に行って、門の前に立って——
「おはよう(^^)」
——って、言ってきた。
40年間。
毎日。
それだけは、変わらへん。
ここでも、あっちでも。
田中よしこは——朝が来たら「おはよう」を言う人間や。
足音がした。
小さな、遠慮がちな足音。
「……よしこ様」
ティアちゃんの声。
振り返った。
ティアちゃんが毛布を抱えて立っとる。三つ編みが少し乱れとる。寝てたんやな、この子。
「……お体に障ります。夜風が冷えますので……」
尻尾が——心配そうに、ゆっくり揺れとる。
「……ティアちゃん、起こしてもうたか。ごめんな(^^)」
「い、いえ……わ、わたしが気づいたので……」
ティアちゃんが毛布をわての肩にかけてくれた。
丁寧に。そっと。
——温かい。
「ありがとうな、ティアちゃん(^^)」
「…………」
ティアちゃんが、何も言わずに隣に立った。
尻尾が——いつものパタパタやない。ゆっくり、ゆっくり揺れとる。心配しとる時のリズムや。この子の尻尾は、いつも本人より先に気持ちを伝えてくれる。
しばらく、二人で黙って月を見た。
長い沈黙やった。でも、嫌な沈黙やない。
「……よしこ様」
「ん?」
「……泣いて、おられましたか」
「…………」
バレとったか。
しゃあないな。この子は気配りの子やから。
「……ちょっとだけな(^^)」
「…………」
ティアちゃんの尻尾が、ぴたりと止まった。
それから——そっと、わての隣に立った。
何も言わない。
ただ、隣にいてくれた。
「…………」
——ええ子やな、この子。
わてが泣いてる理由なんか聞かへん。
ただ毛布を持ってきて、隣に立つ。
それだけ。
——保育園にもおったな、こういう子。
先生が泣いてたら、黙ってティッシュを差し出してくれる子。
「……ティアちゃん」
「は、はい……」
「もう寝よか(^^) 明日も朝早いし」
「……はい」
「おやすみ(^^)」
ティアちゃんが小さくお辞儀をした。
「……おやすみなさい、よしこ様」
尻尾が——パタパタと揺れた。
ティアちゃんが廊下に消えていく。
小さな足音が遠ざかる。
わては——毛布を肩にかけたまま、もう一度、月を見た。
まんまるい月。
62歳。
喜びも、悲しみも、寂しさも、全部抱えて——ここにおる。
あっちの世界で40年間やってきたことを、こっちの世界でもやる。
それだけや。
朝が来る。
朝が来たら——
「……おやすみ(^^)」
月に向かって言った。
あの子に届くかな。
ばーばは元気にやっとるで——って。
届かへんか。
でもええ。
言うだけ言うとこ。
「……おやすみ。また明日な(^^)」
バルコニーを離れた。
部屋に戻る。
毛布が温かい。
——明日の朝。
みんなに「おはよう」を言う。
それが、わての仕事や。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第23話「満月の夜」。Arc2で唯一の、よしこ一人の話です。
書いていて、一番苦しかった話です。
よしこは普段、みんなの太陽です。(^^)を振りまいて、ごはんを作って、「えらいな」って褒めて。でも——この人にも、泣く夜がある。62歳の人生の重みがある。前の世界に残してきたものがある。
保育士を40年やってきたこと。何百人もの子どもたちを送り出してきたこと。定年退職の日の寄せ書き。——そして、「ばーば」と呼んでくれた孫のこと。
もう会えない。
それでも朝が来たら「おはよう」を言う。それが田中よしこという人間です。泣いた次の日も。辛い日の翌朝も。保育園の門の前に立って、「おはよう(^^)」と言い続けた。40年間。
ティアが毛布を持ってきてくれるシーンが好きです。何も聞かない。ただ隣にいる。それが、一番の優しさだと思います。
次回、第24話「お客さんが来る」。Arc2最終話です。調査隊が近づいてくる。ヴェルザ「迎撃を」。よしこ「なんで? お客さんやで(^^)」。魔王城が宴会の準備を始めます。
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