S08-P01 魔王(よしこ62歳)と勇者パーティ

第30話: 孤児院

第3アーク · 4,691文字 · draft

◆レオン視点

転移門を抜けた先に——あった。

石の壁。木の扉。割れた窓。

屋根の半分が崩れている。壁にはひびが入っている。門の表札は錆びて文字が読めない。門の脇に、枯れかけた雑草が伸びていた。

——変わってない。

9年前と、何も変わってない。

いや——もっとひどくなっている。

「…………」

足が動かない。

「レオンくん」

よしこの声。

「……ここだ」

声が、かすれた。

「ここが——俺がいた場所だ」

門を押した。蝶番が軋んだ。錆びた音。

中庭——と呼べるものではない。雑草だらけの空き地。洗濯物が干してあるが、布が薄くて向こうが透けている。

建物の入り口の前に——子どもが座っていた。

五人。

いや、六人か。一人は柱の陰に隠れている。

痩せていた。

全員——痩せていた。

服はつぎはぎだらけ。靴を履いていない子がいる。髪はぼさぼさ。

目が——大きく見えるのは、顔が痩せているからだ。

「…………」

俺は——あの子たちと同じ顔をしていた。

9年前。この場所で。冷めた粥をすすって、汚い毛布にくるまって——同じ顔をしていた。

「だ、だれ……?」

一番前にいた子——七歳くらいの女の子が、俺たちを見上げた。

「……俺は——」

言葉が出ない。

「ここにいた」と言えばいいのか。「帰ってきた」と言えばいいのか。

「——通りすがりや(^^)」

よしこが前に出た。

「ちょっと寄らせてもらってもええかな?(^^)」

女の子が——よしこを見上げた。

「……おねえちゃん、だれ?」

「よしこや(^^) おばちゃんって呼んでな」

「……おばちゃん?」

「せやで(^^)」

よしこが——しゃがんだ。

子どもの目の高さに。

保育士が、子どもに話しかける時の姿勢。

「おなか空いてへん?(^^)」

女の子が——頷いた。

小さく。何度も。

「…………」

よしこが——立ち上がった。


◆よしこ視点

台所を見た。

薄暗い。窓が小さくて、光が入らへん。

かまどがある。鍋がある。——鍋の中に、何か入っとる。

覗いた。

粥。

水で薄めた粥。具がない。色がない。

匙ですくった。

冷めとる。

「…………」

冷蔵庫——はない。棚を開けた。

粉が少し。干した豆が少し。塩。

——それだけ。

「…………」

棚を閉めた。

部屋を見た。

大部屋が一つ。毛布が並べてある。薄い毛布。穴が開いとる。枕はない。

子どもたちの部屋。六人分の毛布。

——六枚しかないのに、三枚は破れとる。

「…………」

わては——何も言わんかった。

何も言えへんかった。

(^^)が出えへん。

40年間保育士をやってきた。

設備が古い園もあった。予算が足りない園もあった。

でも——こんなんは初めてや。

子どもがこんな——

こんな場所で——

「…………」

手が震えとる。

怒りか。悲しみか。わからへん。

——いや。わかっとる。

両方や。

でも今は——今は、それを出す時やない。

台所に戻った。

「ガルくん」

「は、はい……!」

ガルくんが——泣いとった。

もう泣いとった。台所に入った瞬間から泣いとったんやろう。

「ガルくん、手ぇ洗おか(^^)」

「……はい……っ」

「ごはん、作ろ(^^)」

「…………はいっ……」

ガルくんが袖で目を拭いた。手を洗った。エプロンは——ない。服のまま。

「あるもんで作ろか。粉があるから——パンケーキやな。豆でスープ作ろ(^^)」

「ぼ、僕……野菜が……」

「ドルガくん」

台所の入り口にドルガくんが立っとった。黙って立っとった。

「さっきの屋台で、野菜買ってきてくれへん?(^^) お金はメルちゃんに聞いて」

「…………」

ドルガくんが何も言わずに出ていった。

大きな背中。角がない——幻影のままや。でも、あの背中は誰が見てもドルガくんや。


◆ガルド視点

野菜を切った。

手が——震える。

涙が止まらへん。

止まらないのに、包丁は止めへん。

玉ねぎ。にんじん。じゃがいも。

ドルガさんが買ってきてくれた野菜。袋いっぱいの野菜。

「…………っ」

涙で前が見えへん。

でも——切る。

よしこさんに教えてもらった切り方で。

一口サイズに。子どもが食べやすいサイズに。

よしこさんが隣で粉を練っとる。水と粉と——少しの塩。

パンケーキの生地。

「ガルくん、大丈夫?(^^)」

「…………だいじょうぶ、です……っ」

「泣きながらでもええよ(^^) ちゃんと切れとる」

「…………っ」

泣いた。

もう我慢せずに泣いた。

あの子たち——あの子たちの顔。

僕と同じ顔だった。

僕も——教会に選ばれる前、あんな顔をしていた。

お腹が空いて。寒くて。誰も来なくて。

でも僕には——レオンがいた。リーゼがいた。

そして——よしこさんがいた。

あの子たちには、誰がいる?

「…………よしこさん」

「ん?(^^)」

「僕……この子たちに……ごはん、作りたいです……」

「せやな(^^) 作ろ」

「美味しいの、作りたいです……っ」

「ガルくんの作るもんは、全部美味しいで(^^)」

「…………っ」

泣きながら——切った。

全部切った。

鍋に入れた。

火をつけた。

よしこさんがパンケーキを焼いとる。

かまどの火で、丁寧に。一枚ずつ。きれいなきつね色。

匂いがしてきた。

パンケーキの甘い匂い。スープの温かい匂い。

台所から——廊下に匂いが漏れていく。


◆レオン視点

匂いがした。

台所から。

パンの匂い。スープの匂い。

——知ってる匂い。

魔王城で、毎日嗅いでた匂い。よしこが作る、ごはんの匂い。

子どもたちが——顔を上げた。

鼻をひくひくさせて、台所の方を見ている。

「……なに、この匂い」

「いいにおい……」

「ごはん……?」

女の子が——立ち上がった。他の子も。一人、二人。柱の陰の子も出てきた。

全員が——台所に向かって歩いていく。

吸い寄せられるように。

俺も——歩いた。

台所の入り口で——止まった。

よしこが——パンケーキを焼いていた。

ガルドが——スープを煮ていた。

ガルドは泣いていた。ぼろぼろ泣きながら、鍋をかき混ぜていた。

よしこは——泣いていなかった。無表情でもなかった。

いつもの顔だった。

保育園で、毎朝給食を作っていた時の顔。

魔王城で、毎日ごはんを作っていた時の顔。

——あの人の、「仕事の顔」だ。

「はい、できたで(^^)」

皿にパンケーキを乗せた。

スープをよそった。

「みんな、座り(^^) ごはんやで」

子どもたちが——固まっていた。

目が大きくなっている。パンケーキを見ている。スープを見ている。

「……食べて、いいの……?」

女の子が聞いた。

さっきの七歳くらいの子。

「当たり前やん(^^) あんたらのために作ったんやから」

「…………」

女の子が——椅子に座った。

パンケーキを手に取った。

一口かじった。

「…………」

止まった。

もう一口。

もう一口。

「……おいしい」

小さな声。

「おいしい……」

もう一口。手が止まらない。

「おいしい……っ」

——泣いていた。

食べながら、泣いていた。

他の子も食べ始めた。黙って食べた。泣きながら食べた。笑いながら食べた。

柱の陰にいた子が——一番最後に席に着いた。一番小さい子。四歳くらい。

パンケーキを両手で持って、かぶりついた。

「…………」

口の周りが粉だらけ。

「おかわり、あるで(^^)」

よしこが——もう一枚焼いていた。

ガルドがスープをよそっていた。まだ泣いていた。でも手は止まっていなかった。

——俺は。

台所の入り口に立ったまま——動けなかった。

9年前。

俺がここにいた時。

こんなごはんは——なかった。

温かい匂いも。焼きたてのパンケーキも。具だくさんのスープも。

「おかわりあるで」なんて言葉も。

なかった。

「…………」

目の奥が——熱い。

また、か。

泣くもんか。泣かない。俺は泣かない。

「レオンくん(^^)」

「……なんだよ」

「あんたも食べ(^^)」

「……俺は別に」

「食べ(^^)」

「…………」

皿を受け取った。

パンケーキとスープ。

子どもたちと同じもの。

食べた。

——美味い。

いつもと同じ味。よしこが作る、いつもの味。

ここで食べても——魔王城で食べても——同じ味。

よしこの「ごはん」は、場所で変わらへんのか。

「……美味い」

「せやろ(^^)」

「…………美味い」

「おかわりあるで(^^)」

「…………」

——くそ。

泣かなかった。

でも——ぎりぎりだった。


◆よしこ視点

子どもたちが食べ終わった。

六人。全員、おかわりした。一番小さい子は三枚食べた。

食器を洗った。ガルくんと二人で。

ガルくんはもう泣いてへんかった。目は赤いけど、手はしっかり動いとる。

「ガルくん」

「はい」

「ようやったな(^^)」

「…………えへへ」

ええ子や。この子は——ほんまにええ子や。

泣きながらでも手を止めへん。それは、わての背中を見て育った証拠や。

——子どもたちの顔を見た。

さっきより——少しだけ、顔色がええ。

一食で変わるわけやない。でも、目が違う。

さっきは空っぽやった目に——少しだけ、光がある。

ごはんの力は、そういうもんや。

体だけやない。心も温める。

40年間、知っとったことやけど——今日ほど強く思ったことは、ない。

「…………」

台所の窓から外を見た。

崩れかけた屋根。割れた窓。雑草だらけの中庭。

——この場所から、レオンくんは出ていった。

8歳で。一人で。

この場所から、何人の子どもが「勇者」に選ばれて——帰ってこなかったんやろう。

「…………」

手が——握りしめられた。

怒りが——来る。

でも、今は出さへん。

出したら——この子らが怖がる。

今は、笑う。

「ごちそうさまでした、言えるかな?(^^)」

「……ごちそうさまでした」

六人の声が——小さく揃った。

「上手(^^) えらいなぁ」

女の子が——笑った。

初めて、笑った。

「おばちゃん、また来る……?」

「…………」

——来る。

絶対に来る。

「また来るで(^^) 次はもっと美味しいもん作るからな」

「……ほんとに?」

「ほんまや(^^) おばちゃんは嘘つかへんで」

「…………うん」

女の子が——頷いた。

信じてくれた。

——この子に。この子たちに。ちゃんとしたごはんを食べさせる。

それが、わての仕事や。

保育士の仕事や。

魔王の仕事や。

台所を出た。

レオンくんが廊下に立っとった。壁にもたれて、天井を見上げとる。

「レオンくん(^^)」

「……なんだよ」

「帰ろか(^^)」

「…………ああ」

レオンくんが——歩き出した。

背中が、少し——小さく見えた。

17歳の背中やない。

8歳の、あの頃の——背中に見えた。

「…………」

——大丈夫や、レオンくん。

あんたはもう、一人やないで。


【あとがき】

最後まで読んでいただきありがとうございました。

第30話「孤児院」。

書いていて、手が止まりました。何度も止まりました。

よしこが黙るシーンは、この物語で最も重い場面です。いつも「(^^)」を振りまいて、関西弁で場を和ませるこの人が——何も言えなくなった。台所を見て、冷めた粥を見て、破れた毛布を見て。

でも、よしこは泣きませんでした。怒りも出しませんでした。

台所に立ちました。

「まずごはん」。それがこの人の答えです。泣いている暇があったら、ごはんを作る。40年間、保育園でそうしてきた。園の予算がなくても、子どもが泣いていても、まず給食を作る。手を動かす。

ガルドが泣きながら野菜を切るシーンが好きです。この子は、よしこの背中を見て育ちました。泣いていても手を止めない。それは、よしこから学んだことです。自分でも気づいていないかもしれないけれど。

子どもたちが「おいしい」と言って泣いたシーン。ごはんの力は、体だけでなく心も温めます。一食で世界は変わらない。でも、一食で目の光は変わる。

レオンは泣きませんでした。この子は泣かない子です。でも——ぎりぎりでした。

次回、第31話。よしこが初めて「怒る」日が近づいています。

ブックマーク・評価・感想をいただけると、よしこと一緒にパンケーキを焼きます(^^)

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