◆よしこ視点
王城の廊下は、長かった。
ぴかぴかの石の床。天井が高くて、壁には絵画が飾ってある。金の燭台。赤い絨毯。高い窓の外に、秋の空が広がっとる。木の葉が、ほんの少し色づき始めとった。
――立派やなぁ。うちの魔王城より余程きれいにしとるやん。
ティアちゃんが見たら張り合うやろな。「負けてられません」って。
カインくんが前を歩いとる。
その後ろに、わて。
さらに後ろに、ヴェルちゃん。
「……魔王様」
ヴェルちゃんの声が、低い。
「最後にもう一度確認いたします。――本当に、武装なしで謁見なさるのですか」
「うん(^^)」
「王城内には衛兵が三十名以上おります。万が一――」
「話し合いに来たんやから、武装したらあかんやろ(^^)」
「…………かしこまりました」
ヴェルちゃんが溜息をついた。
今日何回目やろ。数えてないけど、たぶん二十回は超えとる。
廊下の奥に、大きな扉が見えた。
衛兵が二人、槍を持って立っとる。
カインくんが振り返った。
「――この先が謁見の間です。陛下がお待ちです」
「ほな、行こか(^^)」
わては――足を止めた。
一瞬だけ。
靴の先を見た。この世界の靴は堅くて足が痛い。保育園の上履きが恋しいわ。
でも――今日は、この靴で歩く。
――ここに来るまでに、見てきたもんがある。
孤児院のぼろぼろの壁。
ガルくんが泣きながら作ったシチュー。
リーゼちゃんが読み上げた、帰還率ゼロの数字。
レオンくんの左頬の傷跡。
全部、覚えとる。
わては保育士やった。
40年間、子どもを見てきた。
親に殴られた子も。ごはんを食べさせてもらえへん子も。朝、一人で保育園まで歩いてくる子も。
その時もそうやった。
怒鳴ったらあかん。殴ったらあかん。でも――黙っとったら、もっとあかん。
「行くで(^^)」
扉が開いた。
◆よしこ視点
謁見の間は、広かった。
天井が高い。柱が並んでいる。一番奥に、玉座。
そこに――ひとりの男が座っとった。
四十代くらいやろか。
柔和な顔立ち。穏やかそうな目。
王冠は小さくて、控えめや。
――若い頃は優しいお父さんやったんやろな、この人。
「――魔王ヴォルグラーナ殿か」
国王の声は、静かやった。
わての両側に衛兵がずらりと並んどる。槍の穂先が光っとる。
ヴェルちゃんが後ろで、微動だにせず立っとる。衛兵全員の位置を把握しとるんやろな、この人。
「ようお会いできました(^^)」
わては――にっこり笑った。
「…………」
国王が――目を丸くした。
衛兵たちがざわついとる。
――そりゃそうやな。魔王が笑顔で「ようお会いできました」て、普通は言わへんわな。
「……お話がおありとか。何をお聞かせいただけるのか」
「あ、その前に」
わては――鞄を開けた。
ヴェルちゃんが「まさか」という顔をしとる。衛兵が身構えた。
鞄から出したのは――茶器セット。
「お茶、飲みはります?(^^)」
「…………は?」
「お話聞いてもらうんやから、お茶くらい出さな失礼やろ(^^)」
「……魔王様。ここは謁見の間でございます」
ヴェルちゃんが後ろから言うた。声が疲れとる。
「せやから(^^) お客さんとこに来たんやから、お茶菓子くらい持ってくのが礼儀やん」
「……よそのお宅に伺ったわけではなく、国王陛下への謁見でございます」
「同じことやん(^^)」
「同じではございません」
ヴェルちゃんの溜息。本日、推定二十五回目。
「……カイン殿。魔王は――いつもこうなのか」
国王がカインくんに聞いとる。
「…………はい、陛下。いつもこうです。――私の報告書が信じていただけなかった理由が、おわかりいただけたかと」
カインくんが遠い目をしとる。
わては謁見の間の端にあった小さなテーブルを引っ張ってきて、手早くお茶を淹れた。
ガルくんが朝、沸かしてくれたお湯を魔法瓶に入れてきた。茶葉はメルちゃんが選んでくれたやつや――人間の王族が好む高級品やて。
「はい、どうぞ(^^)」
国王の前に、湯気の立つ茶碗を置いた。
「…………」
国王が、茶碗を見つめとる。
衛兵が「陛下、毒味を――」と言いかけた。
わては自分の分も注いで、一口飲んだ。
「美味しいで(^^) メルちゃんのセンスええなぁ」
国王が――ゆっくりと、茶碗を手に取った。
一口、飲んだ。
「……温かいな」
「せやろ(^^)」
国王の手が、少し震えとった。
――この人、緊張しとるんや。
玉座に座っとるのに。衛兵に囲まれとるのに。
わてに会うのが、怖いんや。
……いや。ちゃうな。
怖いのは、わてやない。
わてが言おうとしとることが――怖いんや。
「――ほな、本題に入るで(^^)」
お茶を置いた。
「勇者の話や」
国王の手が――止まった。
「レオンくん。リーゼちゃん。ガルくん」
三人の名前を、一人ずつ言うた。
「この子らは今、うちの城におる。元気にしとるで。ごはんも食べてるし、夜もちゃんと寝とる」
「……それは――」
「せやけど」
わては――声のトーンを落とした。
大阪弁がどうとか、魔王の威厳がどうとか、もうどうでもええ。
「この子ら、最初来た時――骨と皮やったで」
「…………」
「三人とも、まともに食べてへんかった。装備はぼろぼろ。傷だらけ。字も読まれへん。――あんた、知っとったん?」
「……勇者の選定は、聖教会の管轄であり――」
「聞いとるんは、そこやない」
わての声が、低くなった。自分でもわかる。
「知っとったんか、知らんかったんか。どっちや」
謁見の間が、静まり返った。
衛兵の甲冑がかちゃりと鳴る音だけが響いとる。
「…………」
国王が――目を伏せた。
「……知って、おった」
その声は――小さかった。
玉座の上の、四十代の男の声やなかった。
叱られた子どもの声やった。
「勇者の選定は孤児から行われる。装備は最低限。給金はなし。帰還した者は――いない。すべて――知っておった」
「…………」
「だが――余には、止められなかった。聖教会の決定を覆す力が、余には――」
「そんなん聞いてへん」
わては――国王の目を、まっすぐ見た。
「あんた――自分の子ども送り出す時も、こんなんするん?」
国王の目が――見開かれた。
「自分の子に、ぼろぼろの服着せて、ごはんも持たせんと、『行ってこい』って言えるん?」
「……それは――」
「言えへんやろ」
「…………」
「ほな――なんで、よその子やったらええの」
国王が――震えとった。
手が。肩が。唇が。
「よその子やから――孤児やから――名前も知らん子やから。せやから、ええの?」
「……余は――」
「あかんに決まっとるやろ」
わての声が――震えた。怒りやない。悲しみや。
「子どもを使い捨てにしたんは、あんたらやろ。聖教会がどうとか、実権がどうとか――そんなん、この子らには関係ない」
国王が、茶碗を握りしめとった。
手が震えて、お茶の水面が揺れとる。
「この子らは――ただ、ごはんが食べたかっただけや」
「…………」
「温かい布団で寝たかっただけや。おはようって言ってもらいたかっただけや」
「…………」
「そんなことも――してあげられへんかったんか」
国王の目から――涙が、一筋落ちた。
玉座の上で。王冠を被ったまま。
「……余は――」
その声は、もう王の声やなかった。
「余とて――心が痛まぬわけでは、なかった。毎年――勇者選定の報告を聞くたびに――」
「痛むだけやったら――意味ないねん」
わては――静かに言うた。
「心が痛いなら、止めなあかんかった。止められへんなら、せめて――あったかいごはんくらい、持たせたらよかった」
国王が――茶碗を見つめとった。
湯気が、静かに立ち上っとる。
「……わたくしは――話し合いに来たんやで(^^)」
わては――笑った。
「殴りに来たんとちゃう。怒ってはおる。めちゃくちゃ怒ってる。でも――今からでも変えられることがある。ちゃうかな」
国王が――顔を上げた。
涙の跡がある顔で。
でも――目に、何かが灯った。
微かやけど。確かに。
◆国王視点
――この女は、何者だ。
魔王ヴォルグラーナ。
世界の半分を支配する、恐るべき魔族の王。
――のはずだ。
だが目の前にいるのは、お茶を淹れて微笑んでいる女だった。
怒っている。確かに怒っている。声が震えていた。
だがその怒りは、余を滅ぼすための怒りではなかった。
――子どもを案じる者の怒りだった。
「――カイン」
余は呼んだ。声がかすれていた。
「はっ」
カインが一歩前に出た。背筋を伸ばした。
「お前は――魔王城で何を見た」
「私が見たものを、ありのまま報告いたします」
カインの声は、震えていなかった。
「魔王は――勇者にごはんを作っておりました。勇者は――字の練習をしておりました。四天王は――宴会の準備をしておりました。城の侍女は――掃除をして、勇者の服を繕っておりました」
「…………」
「魔王城に――戦場はありませんでした。あったのは――食卓です」
カインが――一度だけ、魔王のほうを見た。
「私は――調査隊の隊長として、事実を報告する義務があります。何が正しいかは、報告を聞いた者が判断することです。――事実は以上です」
謁見の間が――沈黙に包まれた。
余は目を閉じた。
――知っていた。
毎年、子どもたちが送り出されていくのを。
帰ってこないのを。
聖教会が「神の御心である」と言うのを。
知っていて――止められなかった。
王冠は重い。だが、それは言い訳だ。
この女の言う通りだ。あったかいごはんくらい、持たせられたはずだ。
「……今すぐに――答えを出すことは、できぬ」
声がかすれた。
「聖教会との――関係がある。政治的な――手順がある。余の一存では――」
――また、言い訳をしている。
「だが――聞いた。余は、聞いた」
魔王が、こちらを見ている。
深紅の目。だが――その目は、余を裁く目ではなかった。
保育園、と言っていた。子どもを預かる場所だと。
この女は――40年間、子どもを見てきたのだと。
「――魔王ヴォルグラーナ殿」
「よしこでええよ(^^)」
「……よしこ、殿。余は――余の力の及ぶ限り、この件を調べる。約束する」
「ほんまに?(^^)」
その声には、詰問ではなく、確認の温度があった。
余を試しているのではない。余の言葉を、信じようとしている。
「……約束する」
余は――この女の目を、真っ直ぐ見た。
どれほどの時間が経ったかわからない。
謁見の間に、お茶の香りが漂っている。
「ほな――お茶のおかわり、いる?(^^)」
「…………」
余は――小さく、笑った。
いつ以来だろう。玉座の上で、笑ったのは。
「……いただこう」
魔王が――二杯目のお茶を淹れてくれた。
四天王が後ろで溜息をついている。
衛兵たちが困惑した顔で立っている。
だが――この一杯の茶は、温かかった。
余の心に沈んだ石が、ほんの少しだけ――軽くなった気がした。
【あとがき】
最後まで読んでいただきありがとうございました。
第33話「王様に会いに行く」。よしこが国王に会いました。
よしこは怒っています。でも殴りません。武器も持ちません。お茶を淹れます。謁見の場で。
ヴェルザの溜息が何回目かもうわかりません。でもヴェルザは、よしこのやり方を知っています。この人は――お茶で世界を変えようとする魔王なのだと。
書きたかったのは「無力な大人」です。国王は悪人ではありません。知っていました。心が痛んでいました。でも止められなかった。――それは「悪」ではなく「弱さ」です。よしこはそれをわかった上で、「あかんもんはあかん」と言いました。保育士として。
「あんた、自分の子ども送り出す時もこんなんするん?」――この一言が、この話で最も書きたかったセリフです。よしこは難しい政治の話をしません。国家論を語りません。ただ、「子どもの目線」で聞くだけです。それが、王冠を被った大人の心を揺さぶりました。
カインは見事でした。「事実を報告する」――それだけ。判断は他の人に委ねる。でもその「事実」が、何よりも重い。
次回、第34話「いつか、遠足の続きを」。Arc3最終話です。帰路につきます。お弁当を配ります。レオンが「手紙を書いてみようかな」と言います。そして――魔王城で、ティアの「おかえりなさい」が待っています。
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