S12-P01 固有スキル【ChatGPT】で異世界全自動化 〜魔法陣はCodexで組み、国はAIが建て、気づけば俺の仕事がなくなりました〜

第16話: パン工房のペアプログラミング

第2アーク · 4,903文字 · revised

工房の扉を開けた瞬間、小麦粉と焼けた薪の匂いが鼻を突いた——そこに混じる、かすかな秋の冷気。まだ日が昇りきっていない。

レンは木材の束を肩に担ぎ、エルナのパン工房の裏口をくぐった。窓の外の空が、青灰色からうっすらと橙に変わり始めている。昨日の夕方、丘の上でエルナに言われた言葉がまだ耳に残っている。

——棚増やすの手伝って。ゴーレムじゃなくて、あんたが。

正直なところ、最初は意味がわからなかった。ゴーレムに指示を出せば三十分で完璧な棚が仕上がる。寸法は正確、仕上がりは均一、釘の打ち込み角度まで最適化された棚だ。

それを、わざわざ自分の手でやれと言う。

非効率の極みだ。

「来たの」

エルナが工房の奥から顔を出した。いつものエプロン姿。小麦色の髪を後ろで束ねて、手には採寸用の紐を持っている。

「来た」

「木材、そこに置いて。あと、これ」

渡されたのは、金槌と釘の入った木箱。それから、手書きの設計図——というか、落書きに近い図面だ。棚の形と寸法が、エルナの丸い字で書かれている。

「……これ、仕様書?」

「仕様書って何」

「設計図のことだ」

「じゃあ設計図って言いなさいよ」

レンは図面を見た。三段の棚。高さ百五十。幅は窓の下に合わせて百二十。奥行き三十。寸法は明確で、エルナなりに考え抜いた形だった。

「ここにパンの冷却棚を置きたいの。焼き上がったパンを並べて、粗熱を取る場所。風通しがいいように、背板は要らない」

「了解。構造的には——」

「難しい話はいいから、とりあえず板を切って」

レンは(のこぎり)を手に取った。

——十分後。

「曲がってる」

エルナが切った板を持ち上げて、目の高さで確認した。切断面が微妙に斜めだ。

「……手の安定性が足りない」

「手ぶれね。あたしでもまっすぐ切れるのに」

「鋸のインターフェースが——」

「道具のせいにしない」

レンは黙って、もう一枚切り直した。今度は少しマシだが、まだ完璧とは言えない。三枚目で、ようやくエルナが頷いた。

「まあ、これでいいでしょ。……別にあんたのためにやり直してるわけじゃないんだから。棚が歪んだら困るのはあたしよ」

「わかってる」

「次、釘」

釘を打つ。

レンは金槌を握り、板を合わせ、釘の頭に金槌を振り下ろした。

釘が曲がった。

「あっ」

「力入れすぎ」

もう一本。今度は金槌が滑って、指を打った。

「いっ——」

「ほら、言わんこっちゃない」

エルナが呆れた顔でレンの手を取り、赤くなった指を確認した。

「大丈夫?」

「……大丈夫」

「大丈夫って言う時のあんた、だいたい大丈夫じゃないけど」

エルナの手のひらが温かい。パン生地をこねてきた手だ。薄いタコがあって、指先が少しだけ硬い。

レンは一瞬、その手の感触に意識を持っていかれた。

エルナが手を離す。

「こうやって持つの。金槌は端じゃなくて、もう少し上を握って。釘は最初だけ軽く叩いて、板に噛ませてから本打ち」

見本を見せてくれた。軽く、軽く、——コンッ。釘が板に食い込む。そこからぐっと力を入れて、三打で頭まで打ち込んだ。

「……うまい」

「当たり前。棚くらい自分で作るもの」

レンは教えられた通りにやってみた。

軽く、軽く——コンッ。釘が板に噛む。力を入れて——コンッ、コンッ。

曲がらなかった。

「お。できたじゃない」

エルナの声が、ほんの少し明るい。

「一本だけどな」

「一本できれば十本できる。十本できれば棚ができる」

その論理には反論できなかった。

***

一時間かけて、棚の骨組みが完成した。

ゴーレムなら十五分。エルナ一人でも四十分くらいだろう。レンの不器用さのせいで、余計に時間がかかっている。

だが——不思議と、悪い気はしなかった。

「板、そっち押さえてて」

「ここ?」

「もうちょい右。……そう、そこ」

二人で棚板を水平に合わせ、レンが釘を打つ。エルナが反対側から板を支える。

手が離せない体勢で、自然に距離が近くなった。

エルナの肩が、レンの腕に触れた。

レンは気づかなかった。釘の頭に集中していたからだ。板がずれないように慎重に打ち込む。一本、二本、三本——よし、固定できた。

「できた」

顔を上げると、エルナが横を向いていた。耳が赤い。

「……どうした?」

「なんでもない。次の板」

エルナの声が少し硬い。レンは首を傾げたが、深く考えずに次の板を手に取った。

***

棚が完成したのは、昼前だった。

三段の冷却棚。背板なし。風通し良好。切断面は少し粗いし、釘の打ち方にもムラがあるが——立っている。パンを並べても倒れない。

「……悪くない」

エルナが棚を押したり引いたりして、強度を確認している。

「何点だ?」

「採点制にしないでよ」

「前回20点だったから、比較したい」

エルナが渋い顔をした。棚をもう一度見て、指で表面を撫でた。

「……35点」

「上がった」

「棚は棚でしょ。パンと基準が違うの」

「じゃあパン基準で」

「パン基準なら0点。これパンじゃないし」

「それはそう」

エルナが少し笑った。すぐに真顔に戻ったが、口の端がまだわずかに上がっている。

「じゃあ、棚も作ったし——パン、手伝って」

「……またか」

「何よ、嫌なの」

「嫌じゃない」

レンは自分の返事の速さに、少し驚いた。

エプロンを借りて、生地をこねる。前にパンを初めて教わった日以来、何度かエルナの工房で手伝いをしている。最初は20点だった腕前が、少しずつ上がっている。

押して、畳んで、また押す。エルナに教わったリズム。生地の下から立ちのぼる小麦の香り。窓の外では、風に乗った枯葉がかさかさと通りを転がっていく。秋の午後の、柔らかい光が工房に差し込んでいた。

「力加減、ちょっとマシになったわね」

「練習した」

「嘘でしょ。いつ」

「ゴーレムの制御が空いてる時に、こっそり」

エルナが目を丸くした。

「……あんた、ゴーレムの合間にパンこねてたの?」

「問題ある?」

「ない。ないけど……」

エルナは何か言いかけて、やめた。代わりに自分の生地に視線を落とした。

「成形、やってみて」

丸パン。前回は歪な楕円しか作れなかった。

レンは生地を手のひらで丸める。回して、押して、形を整える。エルナの動きを何度も見てきたから、手順は頭に入っている。でも、頭と手は別だ。

出来上がった丸パンは——前回よりは丸い。でもエルナのものと比べると、どこか歪で、大きさも不揃いだ。

「前よりマシ」

「何点?」

エルナが生地を手に取り、重さを確かめ、形を見た。

「30点」

「20点から昇格した」

「10点分しか上がってないけど」

「10点は大きい。前世なら——」

「前世の話はいいから」

エルナがレンの生地を窯の近くに並べた。発酵を待つ間、二人は工房の片隅に座った。

窯の薪がぱちぱちと爆ぜる音。生地がゆっくり膨らんでいく気配。小麦粉の匂いと、かすかなイースト菌の酸味。窓の外の木々が揺れるたびに、赤や黄の葉が一枚、二枚と舞い落ちていく。

静かだった。

「ねえ」

「ん?」

「あんた、最近ゴーレムの数減らしたでしょ」

レンは少し驚いた。気づいていたのか。

「……減らしたんじゃない。配置を変えた。村の外周の開拓に回して、中心部は人手でやるようにした」

「なんで?」

「なんでって……」

レンは言葉を探した。効率の話ではない。ガルドじいさんの畑の件、エルナのパンの話、イグニスの忠告——いろいろなものが積み重なって、自然とそうなった。

「……わからない。ただ、そのほうがいい気がした」

エルナは何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ——本当にほんの少しだけ、笑ったように見えた。

見間違いかもしれない。

窯の炎が揺れて、エルナの横顔に影を落としている。小麦色の髪が耳にかかっている。エプロンの紐がほどけかけている。

レンの胸の奥で、何かが静かに動いた。

名前のない感覚だ。効率とは無関係で、最適化の対象にもならない。ただ、エルナの隣にいるこの時間が——心地いい。

それだけのことなのに、うまく言語化できない。

「焼けたわよ」

エルナが立ち上がった。

窯から出したパンは、レンのものが少し焦げて、エルナのものは完璧な狐色だった。

エルナがレンのパンをちぎって、口に運ぶ。噛む。もう一度噛む。

「……前より、ちょっとだけ味が出てきた」

「味が出るって、何が変わるんだ」

「わかんない。でも、変わった」

レンも自分のパンを食べた。焦げた部分は苦いが、中はふわりとしている。前よりも——確かに、何かが違う気がする。

その「何か」が、手の温度なのか、経験なのか、それとも——

「おーい!」

工房の入口から、でかい声が飛び込んできた。

カイルだ。金髪を逆立てた大柄な戦士が、入口に体をねじ込むようにして顔を出している。

「何やってんだ、お前ら。おー、デート?」

時間が止まった。

レンは特に何も感じなかった。「デート」という単語の意味は知っているが、今の状況に適用される理由がわからない。棚を作って、パンを焼いた。それだけだ。

一方、エルナは——

「デ……っ!」

顔が赤くなった。耳まで赤い。それから——

工房の壁にかかっていたフライパンを手に取った。

「違うわよバカ! 覗くな! 出てけ!」

「うおっ!」

フライパンがカイルの頭を直撃した。鈍い金属音が工房に響く。カイルが廊下に吹っ飛んだ。

「いってえ! 何すんだエルナちゃん!」

「エルナちゃん言うな! あんたのせいで変な空気に——とにかく出てけ!」

カイルが「すまんすまん」と笑いながら退散していく。エルナはフライパンを壁に戻し、荒い呼吸を整えた。

「……まったく」

レンは首を傾げた。

「なんで怒った?」

エルナがレンを見た。疲れた目だ。

「……あんたって本当に、そういうとこ鈍いわよね」

「何が?」

「もういい」

エルナは背を向けて、焼き上がったパンを棚に並べ始めた。さっき一緒に作った、あの棚に。

不揃いの釘が打たれた、少し粗い棚。その上に、エルナのパンが並んでいく。

その光景が、妙に——よかった。

レンにはまだ、その感覚に名前をつけられなかった。

***

夕方。

レンが工房の片付けを終え、エルナと一緒に入口に立った時だった。

「レンさん!」

通りの向こうから、息を切らせた声が聞こえた。

メイラだ。薄い金髪のロングヘアが揺れ、丸眼鏡が夕日を反射している。白いローブの裾を両手で持ち上げ、小走りで駆けてくる。インクの染みが袖についている。いつも通りだ。

「メイラ、どうした」

「あ、あの、レンさん、大変なんです!」

メイラが目を輝かせている。頬が紅潮して、息が上がっている。純粋な興奮——学術的な発見をした時の、あの顔だ。

「落ち着け。何があった」

「新しい発見です! レンさんの生成魔法の構造を分析していたら、既存の理論では説明できない共鳴パターンが——今すぐ見てほしいんです!」

メイラの目が、きらきらと光っている。レンに向けられたまっすぐな視線。知的好奇心と、それだけではない——もう少し柔らかい何かが混じっているように見えた。

レンは気づかない。

「共鳴パターン? それは面白い。データはどこに——」

「こっちです! 研究室に置いてあります。急ぎましょう!」

メイラがレンの袖を引いた。

レンは「じゃ、エルナ、今日はありがとう」と振り返った。

エルナは工房の入口に立っていた。

さっきまでの柔らかい空気は、もうなかった。

エルナの口元は笑っているが、目が笑っていない。何かを飲み込んだような——そんな表情に見えた。右手が無意識にエプロンの裾を握りしめている。

「……うん。お疲れ」

その声は、いつもより少しだけ低かった。

レンは一瞬、足を止めた。何か引っかかる。エルナの声のトーンが、さっきまでと違う。でも何が違うのか、それがわからない。

メイラが「レンさん、こっちです!」と先を急いでいる。

「——また明日」

レンはそう言って、メイラの後を追った。

通りを歩きながら、メイラが早口で共鳴パターンの概要を説明している。レンはそれに応えながらも、頭の隅でエルナの表情を反芻(はんすう)していた。

あの、エプロンの裾を握る癖。怒っている時でもなく、呆れている時でもなく——もっと別の、名前のない感情の時に出る仕草。

なんだったんだろう。

答えが出ないまま、レンはメイラの研究室に向かった。棚の上のパンが、まだ温かい湯気を上げていたことを——もう忘れていた。

文字数: 4,903