魔術局の診断室で、セラフィーナは王都の防壁魔法陣に【解呪】を展開していた。
琥珀色の目が細くなり、魔法陣の構造が視界に浮かび上がる。入力パス、処理部、出力部、そして、脆弱性。
「……ここ」
彼女は魔力パスの接合部を指差した。
「この接続、認証が甘い。外部から偽の魔力信号を送り込めば、防壁の出力設定を書き換えられる」
リオンが【診断】で同じ箇所を見る。確かに、魔力の流れに、不自然な隙間がある。
「……本当だ。これ、気づかなかった」
「帝国なら、ここを突く」
セラフィーナは淡々と続けた。
「偽の魔力信号で防壁の出力を下げる。そして、物理攻撃で突破する。防壁が弱っていれば、少ない兵力で落とせる」
「……恐ろしいな」
「そう。だから、塞ぐ」
セラフィーナは羊皮紙に図を描き始めた。
「ここに認証フィルタを追加する。魔力信号の送信元を検証して、正規のパスからの入力だけを受け付ける。これで、偽の信号は弾かれる」
リオンは図を見て、頷いた。
「完璧だ。……セラフィーナ、あなた本当にすごいな」
「……当然だ」
セラフィーナの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その様子を、エルナは少し離れた場所から見ていた。
リオンとセラフィーナが、技術の話で盛り上がっている。二人の間に流れる空気は、仕事仲間のそれを超えて、何か通じ合っているように見えた。
「……」
エルナは、胸の奥に小さなもやもやを感じた。
嫉妬、というほどではない。でも、リオンが自分以外の誰かと、あんなに楽しそうに話すのを見るのは、初めてだった。
「エルナさん、どうかしました?」
ミーナが声をかけてきた。
「……何でもないです」
「そうですか? なんだか、難しい顔してましたけど」
「……本当に、何でもないです」
エルナは視線を逸らした。ミーナは、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。
「……もしかして、セラフィーナさんのこと?」
「!」
「図星ですね」
ミーナは小声で続けた。
「あたしもちょっと、複雑ですよ。リオンさん、あんなに楽しそうに話すんですね、技術の話だと」
「……ミーナちゃんも?」
「ええ。でも」
ミーナは肩をすくめた。
「あたしは技術わかんないから、仕方ないかなって。でも、エルナさんは技術者じゃないですか」
「……そうですけど」
「セラフィーナさんとは、違うんですね」
エルナは黙って、二人を見つめた。
昼休み、リオンはセラフィーナを工房に案内した。
「ここが僕たちの拠点です。診断室、資料室、それから、鍛冶場」
「……思ったより、小さい」
「辺境の工房ですから」
リオンは笑った。
「でも、ここで辺境のインフラを支えてきました。ルーンフェル村、ミルデ村、ブラント村、全部、ここから保守運用しています」
「……一人で?」
「最初はそうでした。でも今は、エルナ、ミーナ、ドルクさん。チームです」
セラフィーナは工房の中を見回した。整理された資料、監視結晶石、手順書の束。すべてが、システマティックに配置されている。
「……帝国とは、全然違う」
「どう違うんですか?」
「帝国は、壊すことしか考えていない。どうやって敵のインフラを落とすか、どうやって混乱させるか、それだけだ」
セラフィーナは窓の外を見た。
「守ることは、考えたこともなかった」
「でも、今は?」
リオンが尋ねた。
「……今は、守りたい」
セラフィーナは静かに言った。
「壊す技術しか知らなかった。でも、あなたの手順書を見て、思った。技術は、壊すためじゃなく守るためにあるんだと」
「……」
「【解呪】は、魔法陣の弱点を見つける能力だ。帝国では攻撃に使っていた。でも、防御にも使える」
セラフィーナはリオンを見た。
「弱点を見つけて、塞ぐ。それが、私の新しい仕事だ」
「ありがとう、セラフィーナ」
リオンは微笑んだ。
「あなたの力は、王都を守るために必要です」
「……ふん」
セラフィーナは顔を背けた。だが、その頬が、ほんの少しだけ赤くなっていた。
午後、診断作業が再開された。
セラフィーナは次々と脆弱性を見つけ、リオンがそれを記録する。エルナは魔力操作で実際に修正作業を行う、完璧な分業体制だった。
だが。
「この魔力パスの接続、もう少し出力を上げたほうがいい」
セラフィーナの指摘に、エルナが応える。
「……わかりました」
エルナの魔力操作で、魔力パスの出力が調整される。だが、。
「……違う。もっと繊細に」
「……やってます」
「いや、まだ粗い。この部分、0.3%単位で調整しないと」
「セラフィーナさん」
リオンが割って入った。
「エルナの操作、今ので十分です。0.3%の誤差は許容範囲内」
「……そうか」
セラフィーナは黙った。エルナは、少しだけ険しい表情でリオンを見た。
、気まずい空気が流れた。
夕方、作業が終わって工房に戻る途中、エルナがリオンに言った。
「……リオンさん」
「ん?」
「セラフィーナさん、技術は本物ですね」
「ああ。本当にすごい。あの【解呪】の精度、僕の【診断】では見つけられない脆弱性まで見つけてくれる」
「……そうですね」
エルナの声が、少しだけ沈んでいた。リオンは気づかなかった。
「エルナも今日、よく動いてくれた。魔力操作、完璧だったよ」
「……ありがとうございます」
「明日も頼むね」
「……はい」
エルナは、小さくため息をついた。
その夜、リオンはリーティアの部屋を訪れた。
「管理者。今日のシステム稼働率は98.7%。良好だ」
「うん。セラフィーナのおかげで、防壁の脆弱性が一つ塞がった」
「……彼女の【解呪】能力は、脅威だ」
「そうだね。でも、今は味方だ」
「……理解している」
リーティアは少し間を置いて、言った。
「管理者。補助管理者(エルナ)のログに異常を検知した」
「異常?」
「感情パラメータが、通常より15%低下している。原因は、不明」
リオンは首を傾げた。
「……エルナ、何かあったかな」
「……管理者は、人間関係の機微に疎い」
「え?」
「……何でもない。データ上の観測結果を報告しただけだ」
リーティアの声が、少しだけ呆れていた。
翌日、セラフィーナは魔術局の会議室でアルヴィスと対面していた。
「……帝国の工作技術を、すべて教えてもらおう」
アルヴィスの鋭い目が、セラフィーナを見つめる。
「わかった」
セラフィーナは羊皮紙を広げた。
「帝国の攻撃は、大きく分けて四種類ある。第一に、中間者攻撃。通信経路に偽の中継陣を挿入して、情報を盗聴・改竄する」
「……ふむ」
「第二に、魔法陣インジェクション。入力パスから不正な術式を注入して、魔法陣の動作を書き換える」
「それは——リオンが対処したな」
「そうだ。浄化フィルタで対策済み」
セラフィーナは続けた。
「第三に、なりすまし攻撃。正規の管理者を装って、偽の指示を出す。これも——認証トークンで対策されている」
「……では、第四は?」
「サプライチェーン攻撃」
セラフィーナの声が、低くなった。
「魔法陣の素材——特殊鉱石や刻印板の材料に、あらかじめ不正な術式を埋め込んでおく。それを使った魔法陣は、特定の信号で一斉に暴走する」
アルヴィスの顔が、強張った。
「……それは、まだ使われていないのか?」
「わからない」
セラフィーナは首を振った。
「私が知る限り——帝国は十五年以上前から、素材に細工を施していた。いつ発動するかは——上層部しか知らない」
「……十五年前」
アルヴィスは窓の外を見た。
「……ということは、王都の魔法陣の一部は——すでに汚染されている可能性があるのか」
「ある」
静寂が落ちた。
その報告を聞いたリオンは、顔色を変えた。
「サプライチェーン攻撃……」
「知っているのか、小僧」
「前の世界で、最も恐れられていた攻撃です」
リオンは深く息を吐いた。
「ソフトウェアの開発段階で、悪意あるコードを仕込む。それが製品として出荷されれば。すべてのユーザーが汚染される。発覚したときには、もう手遅れだ」
「……」
「この世界でも、同じことが起きているのか」
リオンは拳を握った。
「素材レベルで汚染されていたら——僕たちの対策は、すべて無意味になる」
「……どうする」
「調べます」
リオンは顔を上げた。
「王都の魔法陣、特にここ十五年以内に構築・修復されたものをリストアップする。そして、素材の出所を確認する」
「膨大な作業になるぞ」
「でも、やらなければならない」
リオンは決意を込めて言った。
「サプライチェーン攻撃が本当なら——王都全体が、時限爆弾を抱えているようなものです」
その夜、工房でリオンは資料を広げていた。
王都の魔法陣構築記録。素材の納入記録。業者のリスト。すべてを洗い出す。
「……十五年分のデータ、全部調べるんですか?」
エルナが呆れた顔で言った。
「やるしかない」
「手伝います」
セラフィーナが部屋に入ってきた。
「私が帝国で見た、汚染素材の特徴を教える。それを基準に、リストを絞り込める」
「……ありがとう」
リオンは微笑んだ。セラフィーナは、少しだけ顔を背けた。
エルナは、その二人を見て——小さくため息をついた。
深夜、三人は黙々と作業を続けていた。
リオンが記録を読み上げ、セラフィーナが特徴を照合し、エルナがリストを作成する。
「……鉱石の納入業者、『カルヴァン商会』。帝国との取引歴あり——疑わしい」
「リストに追加」
「次、『ミラード鍛冶工房』。国内専門——白」
「了解」
単調な作業が続く。だが、三人の息は、次第に合ってきた。
「……リオン」
セラフィーナが呟いた。
「ん?」
「お前のチーム——いいな」
「……ありがとう」
「帝国では、こんなふうに協力することはなかった。命令があって、実行するだけ。誰も——一緒に考えることはなかった」
セラフィーナは羊皮紙を見つめた。
「でも、ここは違う。みんなで考えて、みんなで動く。それが——チームなんだな」
「そうだよ」
リオンは笑った。
「一人じゃ無理でも、チームなら——できる」
エルナが、少しだけ笑顔を見せた。
「……リオンさんが、いつも言ってることですね」
「うん」
三人は、また作業に戻った。
王都の夜が、静かに更けていく。
サプライチェーン攻撃。その脅威が、少しずつ明らかになっていく。
だが、今はまだ——準備の時間だ。
【あとがき】
第47話「壊すのではなく守る技術」でした。セラフィーナとの共同作業が始動。攻撃者の目線を防御に活かすという逆転の発想です。