S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第5話: 直しただけなんですが

第1アーク · 5,734文字 · revised

一ヶ月間、水が止まらなかった。
 たったそれだけのことが、ルーンフェル村を揺るがしていた。


朝、井戸端に水を汲みに行くと、おばさんたちの会話が耳に入ってきた。
「ねえ、今月も浄化魔法陣が止まらなかったわよ」
「本当に? もう丸々一ヶ月?」
「ちょっと信じられないわ。去年なんて三日に一回は止まってたのに」
「あの子がやったんでしょ? 農家のリオン」
「ええ、あの……戦えない子ね。でもすごいことしたのよ」

リオンは桶を抱えたまま、そっと身を引いた。
 人の輪に巻き込まれる前に退散するのは、前世で身につけた処世術だ。障害対応後に「あのとき助かりました」と声をかけてくる営業マンの相手をしなくて済む、あの感覚に似ている。

……いや、あの頃は逃げ場がなかった。今は違う。定時退勤、最高。


だが、逃げ切れなかった。

「リオン!」
 村長のグラムが、朝食中のリオンの家に押しかけてきた。
 白髪交じりの髪に深い皺。いかにも辺境の村の長という風貌だが、今日はやけに目が輝いている。
「村長、朝早いですね」
「お前に話がある。今夜、宴を開く」
「……宴?」
「水浄化魔法陣の修復を祝ってだ。村の者みんなが感謝している。お前が主賓だ」
 リオンは箸を止めた。
「いえ、あの……直しただけなんですが」
「直しただけ、とは何だ! あの魔法陣は10年以上も月に二度三度と止まっておった。その度に魔術師を呼ぶ費用で、村の財政がどれほど圧迫されていたか!」
 グラムの声は震えていた。
「お前が直してくれてから——水汲みの当番が泣かなくなった。赤子を抱えた母親が、夜中に川まで水を運ばなくてよくなった。わしはな、リオン。10年間ずっと申し訳ないと思っておったんだ」

リオンは言葉に詰まった。

前世では、インフラが正常に動いているとき、誰も感謝しなかった。それが当たり前だからだ。止まったときだけ怒鳴られ、直したら「遅い」と言われ、報告書を書かされた。
 でもこの村では、直しただけで宴が開かれる。
 温度差が、すごい。

「……わかりました。ありがたくいただきます」
 断る理由もない。前世と違い、ここには残業もSLAレポートもない。宴が終われば帰れる。


夕暮れ時。村の広場に篝火(かがりび)が焚かれた。

テーブルが並べられ、村の女性たちが腕によりをかけた料理が所狭しと並ぶ。焼いた猪肉、根菜の煮込み、焼きたてのパン、蜂蜜酒。辺境の村としては精一杯のご馳走だ。
 村人が三百人近く集まっている。ほぼ全員だ。

「リオン! こっちだ、主賓席だぞ!」
 グラムに腕を引かれ、広場の中央に座らされた。
「いや、そんな大げさな……」
「大げさなものか。さあ、みんな! 今日はリオンに感謝する日だ!」

グラムが盃を掲げると、村人たちが一斉に歓声を上げた。
「リオン! ありがとう!」
「水が止まらないって、こんなに安心なんだな!」
「うちの畑の水路も調子いいぞ!」

リオンは居心地悪そうに笑った。
 前世の記憶では、感謝されるシーンなど数えるほどしかない。インフラエンジニアは裏方だ。縁の下の力持ち。システムが動いて当たり前、止まったら犯罪者扱い。
 それがこの世界では英雄扱い。

「あの、本当に設定を少し変えただけで……」
「謙遜するな!」横から割り込んできたのは、鍛冶屋のゴルドだった。がっしりした体躯に、煤だらけのエプロン。「お前の診断がなけりゃ、原因もわからんかったんだ。わしの斧の亀裂も見つけてくれたしな」
「それは……まあ、はい」
「飲め飲め!」

蜂蜜酒を注がれた。甘くて、少しだけアルコールの香りがする。
 リオンは一口飲んで、ああ、と思った。
 悪くない。悪くない、これ。

前世の打ち上げは、障害復旧後のコンビニビールだった。疲れ果てた顔のチームメンバーと、蛍光灯の下で缶を開ける。「お疲れ」「お疲れ」。それだけ。翌日にはもう次の障害が待っている。

でも今日は——篝火の揺らめき、星空、笑い声。
 定時どころか、前世では想像もしなかった光景だ。


宴が盛り上がる中、リオンは少しだけ輪を離れて、広場の端に腰を下ろした。

蜂蜜酒を片手に、夜空を見上げる。
 星がやたらと多い。当然だ。光害がない。サーバールームの冷たい蛍光灯しか見ていなかった前世とは、文字通り世界が違う。

「……やっぱり、温度差があるな」

リオンは呟いた。

自分にとっては、ルーティングの設定変更だ。前世なら作業報告書に「魔力パスの経路変更。干渉解消。所要時間4時間」と書いて終わりの案件。
 でもこの村にとっては十年越しの奇跡。
 その差が、どうにも落ち着かない。

「難しい顔してるね」

声をかけてきたのは、同い年のアリナだった。弓の名手で、村の若者の中では一番しっかりしている。
「宴の主賓が隅っこにいちゃダメでしょ」
「……ちょっと休憩」
「疲れた?」
「いや、そうじゃなくて」

リオンは言葉を選んだ。
「みんなが喜んでくれるのは嬉しいんだけど……僕がやったのは、本当にちょっとした設定変更なんだ。すごいことをしたっていう感覚が、正直ない」
「でも、すごいことだよ」アリナは真っ直ぐにリオンを見た。「十年間、誰にも直せなかった。お金を払って魔術師を呼んでも、『魔力が足りない』って言われるだけで。それをリオンが半日で直したんだから」
「……まあ、原因がわかれば、直すのは簡単なんだけどね」
「その『原因がわかる』ができるのが、リオンだけなんでしょ」

リオンは蜂蜜酒を一口飲んだ。
 前世でも同じことを言われた気がする。「原因の切り分けができるのは九条さんだけですよ」と。
 それが——属人化の始まりだった。

「……一人だけが直せる状態は、あんまりよくないんだけどな」
「え?」
「いや、なんでもない」


翌日から、日常が変わり始めた。

最初に来たのは、隣村のおじさんだった。
 ルーンフェル村から半日ほど東にある小さな村、ヴァルデンの農夫。名をベルクと言った。

「あんたがリオンかい? うちの灌漑(かんがい)魔法陣がおかしいんだ。見てくれないか」
「灌漑魔法陣ですか。どういう症状です?」
「水の量が安定しねえんだ。多かったり少なかったり。農地が干上がったかと思えば、次の日は水浸しだ」
「それ、いつ頃からですか?」
「もう三年くらいかな……」

三年。放置されすぎだろう。いや、前世でもそういう案件は山ほどあった。「前からおかしいんだけど、動いてるから……」という台詞を何百回聞いたことか。

「わかりました。見に行きます」
「本当か!? ありがてえ!」

ベルクは深々と頭を下げた。


その翌日には、もう一人来た。
 今度は西側の村、ミルデから。防壁魔法陣の出力が弱まっているという相談だった。

さらに次の日。南の集落から、灯火魔法陣が暗くなったと。

「……増えてきたな」

リオンは自室の壁に、依頼の一覧を書き出していた。

ヴァルデン村:灌漑魔法陣、出力不安定。推定原因:制御パラメータの経年劣化。
 ミルデ村:防壁魔法陣、出力低下。推定原因:魔力パスの損耗か干渉。
 南の集落:灯火魔法陣、光量低下。推定原因:魔力供給量の減衰。

三件。まだ三件だ。前世に比べれば、屁でもない。
 前世のチケット管理システムには常時五十件以上の未対応案件が並んでいた。三件なんて、定時前に片付く量だ。

でも、リオンは知っていた。
 三件は、始まりに過ぎない。噂が広まれば、もっと来る。

「ペースを守れ。一人で抱え込むな」

自分に言い聞かせるように呟いた。
 前世の失敗を、繰り返すわけにはいかない。


まずはヴァルデン村の灌漑魔法陣から取りかかった。

ベルクに案内されて、半日歩いて到着する。
 村の入り口にある水路沿いの魔法陣。直径二メートルほどの石板に、複雑な紋様が刻まれている。

「これが問題の魔法陣ですね」
「ああ、頼むぜ」

リオンは膝をつき、魔法陣に手を触れた。
 【診断(ダイアグノーシス)】——発動。

視界が切り替わる。魔力の流れが可視化される。入力パス、制御部、出力部。
 構造は水浄化魔法陣と似ているが、灌漑用に最適化されている。水量の調整機能、分配ロジック、タイマー制御——。

「……あー、なるほど」

リオンは原因を見つけた。

制御部のパラメータが劣化している。本来は一定量の水を安定して出力する設定なのだが、経年劣化で閾値(しきいち)が狂っている。振れ幅が大きくなり、多すぎたり少なすぎたりする。
 前世で言えば、設定ファイルの値が化けている。文字コードの劣化、メモリの腐敗。ハードウェアに近い問題だ。

「ベルクさん、原因わかりました」
「マジか!? 三年悩んでたのに!?」
「制御の数値が劣化してるんです。刻印が摩耗して、本来の値からずれてる。ここを彫り直せば安定するはずです」
「彫り直す……? わしにはできねえぞ」
「刻印の補修ができる職人さんは近くにいますか?」
「ゴルドに頼めばできるかもしれんが……」
「じゃあ、ゴルドさんに依頼しましょう。僕が補修箇所を指示しますから」

これが大事だ。自分で全部やらない。診断して、原因を特定して、修復は専門の人に任せる。
 前世の教訓。「原因切り分けと修復は分業すべし」。


結局、ゴルドを呼んで刻印を補修し、灌漑魔法陣は安定を取り戻した。
 作業時間は、診断含めて三時間ほど。

「嘘だろ……三年間悩んでたのが、半日で……」
 ベルクは呆然としていた。

「パラメータの劣化なので、また数年後に同じ症状が出るかもしれません。その時は同じ場所を補修すればいいです」
「お、おう……」
「できれば、定期的に確認した方がいいですね。半年に一回くらい」
「定期的に……確認……」

ベルクの顔に、まったく馴染みのない概念を受け止めようとする困惑が浮かんでいた。
 保守運用という思想がない。壊れたら直す。それだけ。予防保守の概念が存在しない。

「……まあ、追い追いで」

リオンは深追いしなかった。一度に全部は無理だ。まず「直る」という成功体験を積ませることが大事。運用の文化は、その後だ。


ヴァルデンからの帰り道。
 リオンは一人、夕焼けの街道を歩いていた。

ミルデ村と南の集落の依頼がまだ残っている。でも、今日はもう遅い。明日にしよう。

「……前世なら、このまま次の現場に向かってただろうな」

あの頃は、障害を放置する恐怖が勝っていた。今すぐ直さなければ。今すぐ対応しなければ。携帯が鳴る前に。上司に報告される前に。
 その焦りが——過労死に繋がった。

今は違う。明日でいい。明日で間に合う。
 灯火魔法陣が暗いのは不便だが、命に関わらない。防壁の出力低下は要注意だが、即座に落ちる兆候はない。
 優先度を判断して、計画的に対応する。これが正しい運用だ。

「定時退勤。定時退勤」

呪文のように呟きながら、リオンは村への道を歩いた。


自宅に着くと、玄関先に見慣れない人影があった。

二人。どちらも見たことのない顔だ。旅装で、少し疲れた様子。

「あの……リオンさんですか?」
 若い男が声をかけてきた。二十歳くらい。隣には年配の女性がいる。
「はい、そうですが」
「遠くから来たんです。ラーゼンの町から。噂を聞いて」
「噂?」
「魔法陣を直せる少年がいるって。うちの町の通信魔法陣がもう半年も不調で……商人たちが困ってるんです。見てもらえませんか?」

ラーゼン。聞いたことがある。ルーンフェル村から丸二日はかかる町だ。そんな遠くまで噂が——。

「通信魔法陣ですか……」
「ええ、文字を送れるはずなんですが、届いたり届かなかったりで」
「パケットロスみたいな……」
「は?」
「いえ、なんでもないです」

リオンは腕を組んだ。

通信魔法陣。文字情報を中継して送受信するシステム。前世で言えば、メールサーバーか電文システムだ。
 半年不調——これは少し厄介かもしれない。通信系は構造が複雑だ。中継ノードの問題、プロトコルの不整合、暗号化……いや、この世界に暗号化はまだないはずだ。

依頼は——四件目。

「……少し時間をください。先に受けている依頼がありますので」
「もちろんです! 待ちます!」
「ラーゼンまで丸二日かかりますよね。日程を調整してから、改めてお返事します」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

二人は何度も頭を下げて、村の宿に向かった。


自室に戻り、リオンは壁の依頼一覧に四件目を書き足した。

ヴァルデン村:灌漑魔法陣。【対応済み】
 ミルデ村:防壁魔法陣、出力低下。【未対応】
 南の集落:灯火魔法陣、光量低下。【未対応】
 ラーゼンの町:通信魔法陣、送受信不安定。【未対応】

壁に書かれた文字を眺めて、リオンはため息をついた。

「……チケット管理が必要だな、これ」

前世のJiraやRedmineを思い出す。案件番号、優先度、ステータス、担当者。あれがないと、いずれ破綻する。

でも今は——壁に書くしかない。

リオンは椅子に座り、天井を見上げた。

三件が四件になった。
 四件が十件になるのは、時間の問題だろう。
 噂は広がり続ける。そして——依頼は増え続ける。

前世と同じ構図だ。
 「できる人」に仕事が集中する。属人化が進む。その人がいなくなったら、全部止まる。

「……仕組みを、作らないとな」

一人で全部やるのは、もう限界が見えている。
 自分が診断して、職人が修復する。今日ヴァルデンでやったように。
 さらに言えば——診断の手順書を作って、自分以外でも初期診断ができるようにする。

属人化させない。引き継げる体制を作る。
 それが——前世の九条諒にはできなかったことだ。

リオンは壁の依頼一覧をもう一度見つめた。

四件。まだ四件。
 まだ、間に合う。

「明日はミルデ村の防壁だな。南の集落はその次。ラーゼンは来週」

計画を立てて、優先度をつけて、一つずつ片付ける。
 焦らない。一人で抱え込まない。定時で帰る。

リオンは窓の外を見た。
 月明かりに照らされた村。静かな夜。

前世の自分に教えてやりたかった。
 インフラが安定して動いている夜は——こんなにも、穏やかなのだと。

「……さて、寝るか。明日も早い」

リオンは灯りを消した。

この世界で初めて、彼は「明日の仕事」を楽しみにしていた。
 もっとも——それが加速する日常の始まりだとは、まだ気づいていなかったが。


【あとがき】
インフラを直しても誰にも感謝されなかった前世と、宴を開いてもらえる異世界の温度差。この落差こそが、リオンにとっての転生の意味だと思います。

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