S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第6話: ハードウェア障害ですね

第1アーク · 5,908文字 · revised

麦穂が、痩せていた。

隣村グランメルの農地に足を踏み入れた瞬間、リオンはそれに気づいた。ルーンフェル村の麦と比べて、穂が小さい。実の詰まりも悪い。葉の色も、どこか黄ばんで見える。
 案内役の中年の農夫、ベルトと名乗った男が、苦い顔で畑を指し示した。

「ここ3年、ずっとこの調子なんだ。年々収穫が落ちてる。肥料を変えたり、水の量を増やしたり、いろいろ試したんだが……」
「土壌の検査は?」
「魔術師に見てもらったよ。『土地が痩せたんだろう、休耕しろ』と言われた。でもうちの村は、この畑がなきゃ食っていけないんだ」

ベルトの声には、切実な響きがあった。

グランメルはルーンフェル村から半日ほど東にある農村だ。人口は200人ほど。ルーンフェル村よりさらに小さく、農業以外にこれといった産業がない。収穫量の低下は、そのまま村の存亡に関わる。

リオンがこの依頼を受けたのは3日前のことだった。


「リオンってのは、お前さんか?」

ルーンフェル村の水路沿いを歩いていたリオンに、見知らぬ男が声をかけてきた。40代くらいの、日焼けした肌と太い腕。農夫だとすぐにわかった。

「隣のグランメル村から来た。ベルトだ。お前さんが魔法陣を直したって聞いてな」
「直したというか……設定を変えただけなんですけど」
「なんでもいい。うちの村を見てくれないか」

ベルトは、事情を話してくれた。
 3年前から農地の収穫量が落ち始めた。最初は天候のせいだと思っていた。次の年も落ちた。肥料を変えた。水を増やした。それでも落ち続けた。

「魔術師は『土地が痩せた』と言ったんです?」
「ああ。でもな、この土地は何百年も使ってきたんだ。急に痩せるか? それも3年前からいきなり?」
「……」

リオンは少し考えた。
 急激な変化には、必ず原因がある。前世でも「なんとなく遅くなった」と言われて調べたら、3年前のOS更新でカーネルパラメータが変わっていたなんてことがあった。

「見に行きます」

ベルトの顔が、ぱっと明るくなった。


そして今、リオンはグランメルの農地に立っている。

畑は広い。ルーンフェル村の2倍はある。その中央に、農地管理魔法陣が埋め込まれていた。
 直径2メートルほどの円形の石板。表面には複雑な紋様が刻まれ、微かな光を放っている。土壌の養分を調整し、水分を適切に分配し、害虫を遠ざける——農業の根幹を支える魔法陣だ。

「これが、うちの農地魔法陣だ」ベルトが言った。「じいさんの代から、ずっとこいつに頼ってきた」
「触りますね」

リオンは膝をつき、石板に両手を置いた。
 意識を集中する。

「【診断(ダイアグノーシス)】」

視界が切り替わった。


魔法陣の内部構造が、立体的に展開される。
 入力パス。処理部。出力部。魔力の流れ。

リオンはまず全体像を把握した。
 構造自体は比較的シンプルだ。大気中の魔力を吸収し、土壌養分の調整と水分の分配、害虫忌避の3つの処理を実行している。ルーンフェル村の水浄化魔法陣と似たような設計思想だが、処理の分岐が多い分、刻印も複雑だ。

魔力の入力パス、正常。大気中からの吸収効率に問題はない。
 出力部、正常。処理結果は適切に土壌に反映されている。

「入力も出力も問題ない……?」

リオンは眉をひそめた。
 入力と出力が正常なら、問題は処理部だ。

意識を深く沈める。処理部の詳細を展開する。

——見えた。

刻印だ。
 魔法陣の命令記述を構成する刻印、古代語で書かれた処理ロジックが摩耗していた。

物理的な摩耗だった。
 石板に刻まれた溝が浅くなっている。一部は欠けている。エッジが丸まり、本来の形状を失いかけている箇所がいくつもある。

リオンは息を呑んだ。

「これは……」

摩耗した刻印を、一つずつ精査していく。
 溝が浅くなった部分は、魔力の伝導効率が落ちている。本来100の魔力が通るべきところを、70しか通せない。欠けた部分は、処理の分岐を誤っている。条件判定が正しく行われず、間違った処理が走っている箇所もあった。

つまり、魔法陣は動いている。入力も出力もある。でも、処理の精度が落ちている。

「土壌養分の調整が雑になってるんだ……」

本来なら窒素、リン、カリウムを最適なバランスで供給すべきところが、大雑把にしか制御できなくなっている。水分分配も偏っている。害虫忌避のパターンも、一部が機能していない。

魔術師が「土地が痩せた」と診断したのは、間違いではない。土壌は確かに痩せている。でも原因は土地そのものではなく、土地を管理する魔法陣の劣化だった。

リオンは手を離し、目を開けた。


「どうだ? 何かわかったか?」

ベルトが、緊張した面持ちで聞いてきた。周囲には他の村人たちも集まっている。噂を聞きつけて見物に来たらしい。

「わかりました」リオンは立ち上がり、石板を見下ろした。「土地が痩せたんじゃないです。魔法陣の刻印が摩耗してる」
「刻印が……摩耗?」
「ええ。石に刻まれた溝が、長年の使用で擦り減ってるんです。そのせいで処理効率が落ちて、土壌の調整が正確にできなくなってる」

ベルトは首を傾げた。村人たちもざわめいている。

「前の世界で——いや、たとえるなら」リオンは言い直した。「鋤の刃が磨り減って、畑がうまく耕せなくなってるようなものです。土が悪いんじゃなくて、道具が劣化してる」
「ああ……なるほど」

ベルトの目に、理解の光が灯った。農夫にとって道具の劣化は身近な概念だ。

「じゃあ、刻印を彫り直せばいいのか?」
「……」

リオンは少し考えてから、首を横に振った。

「彫り直すだけでは難しいです」


リオンは再び石板にしゃがみ込み、指で刻印の溝をなぞった。

「この石板自体が問題なんです」

石の材質が変質している。何百年も魔力を通し続けた結果、石材そのものが脆くなっている。表面だけでなく、内部にも微細なひび割れが走っている。刻印を彫り直しても、すぐにまた摩耗する。石が魔力の通り道として機能する限界に近づいている。

「これ、ハードウェア障害ですね」

口をついて出た言葉に、ベルトが怪訝そうな顔をした。

「はーど?」
「あ、すみません。つまり、魔法陣の設定とか運用の問題じゃなくて、土台の石板そのものがダメになってるということです」

前世の経験が頭をよぎった。
 ソフトウェアの問題なら、設定変更やパッチで対応できる。でもハードウェアが壊れたら——物理的に交換するしかない。刻印を書き換えても、土台の石板が劣化していたら意味がない。

「リプレース、つまりこの石板ごと新しいものに取り替える必要があります」

沈黙が落ちた。

「取り替えるって……この魔法陣を?」ベルトの声が震えた。「こいつは、じいさんのじいさんの、そのまたじいさんの代からあるんだぞ?」
「だからこそ、限界が来てるんです」

リオンは穏やかに、しかし明確に言った。

「何百年も動き続けたこと自体がすごいんです。でも、永遠に動くものはない。石だって摩耗する。魔力が通り続ければ、なおさらです」


村人たちがざわめいた。
 古代から受け継がれてきた魔法陣を「取り替える」という発想は、彼らにはなかったようだ。

「でも……誰がそんなことできるんだ?」年老いた村人が声を上げた。「古代の魔術師が作ったもんだぞ。今の魔術師じゃ、新しく作れないだろう」

リオンは頷いた。
 それは正しい指摘だった。古代魔法陣の完全な新規構築は、現代の技術では不可能とされている。

「完全に同じものは作れません」リオンは認めた。「でも、既存の設計を読み取って、同じ機能を持つものを模倣することはできます。僕の【診断】で構造は把握できてる。問題は——」

リオンは石板を見下ろした。

「これを刻むための石材と、精密に刻印できる技術を持った職人です」

魔法陣の刻印は、ただ石に溝を掘ればいいというものではない。溝の深さ、幅、角度——すべてが精密でなければならない。普通の鍛冶屋の腕では無理だろう。

「腕のいい鍛冶師か……」

リオンが呟くと、ベルトが顎に手を当てて考え込んだ。

「鍛冶師なら……一人、噂を聞いたことがある」
「噂?」
「ああ。東の山麓の町に、腕のいい鍛冶屋がいるって話だ。魔道具の修理もやってるらしい。名前は……すまん、思い出せん」
「魔道具の修理ができるなら、魔法陣の刻印もできるかもしれません」

リオンは心の中でメモを取った。東の山麓の町。腕のいい鍛冶屋。後で調べよう。


「それで……リオンさん。うちの畑は、どうすりゃいいんだ」

ベルトの声は、切迫していた。
 リプレースが必要だとわかった。でも、新しい石板を用意して刻印するには時間がかかる。その間、このままでは収穫量はさらに落ちる。

「応急処置はできます」

リオンは言った。

「石板のうち、比較的状態がいい部分を使って、最低限の処理だけ正確に動かすようにします。具体的には——」

リオンは地面に棒きれで簡単な図を描いた。

「今、この魔法陣は3つの処理を同時に走らせてます。土壌養分の調整、水分分配、害虫忌避。全部を精密に動かすには刻印が足りない。だから、優先順位をつけます」
「優先順位……」
「土壌養分の調整が最も重要です。これを最優先にして、刻印の状態がいい部分にルーティングを集中させる。水分分配は手作業で補える部分を人力に切り替えて、魔法陣の負荷を減らす。害虫忌避は……正直、効果が半減しますが、薬草での対処と併用するしかない」

前世でいえば、故障したサーバーの機能を生きている部分に縮退させる「縮退運転(しゅくたいうんてん)」だ。フル性能は出ないが、最も重要なサービスだけは維持する。

「全部を完璧にするのは無理でも、一番大事なところだけ守る。それが障害対応の鉄則です」


応急処置は、その日のうちに行った。

リオンは【診断】で刻印の状態を一つずつ確認し、まだ機能している部分を精査した。そして魔力の流れを再配置し、土壌養分調整の処理を最も状態のいい刻印群に集中させた。

作業は繊細だった。
 刻印の溝に沿って、細い金属棒で魔力の流路を微調整する。前世のネットワークルーティングの変更と同じだ。ただし、こちらは物理的な作業だった。手が震えないよう、息を止めて、一つずつ。

「……ふう」

数時間かけて、応急処置が完了した。

リオンは再び【診断】を発動して確認した。
 土壌養分調整の処理効率は、元の80%程度まで回復している。完全ではないが、収穫量の低下は止められるはずだ。水分分配は50%程度に落ちるが、人力での補水で対応可能な範囲だ。

「これで当面は持ちます。でも、あくまで応急処置です」

リオンはベルトに向き直った。

「根本解決には、石板のリプレースが必要です。それまでは——水撒きの人手が必要になります。すみません」
「いや、十分だ!」

ベルトが声を張り上げた。

「原因がわかっただけでも御の字だ。3年間、何をやっても駄目で、もう村を捨てるしかないかと——」

声が詰まった。
 周囲の村人たちも、目を赤くしている者がいた。


「リオンさん。お礼をしたいんだが、うちの村にはあまり金がなくて……」

帰り際、ベルトが申し訳なさそうに言った。
 リオンは首を振った。

「お金はいいです。それより、さっき言ってた鍛冶屋の情報があったら教えてください。東の山麓の町の」
「ああ、あの噂か。わかった、知り合いに聞いてみる。何か情報が入ったら、すぐに知らせるよ」

リオンは頷いて、グランメル村を後にした。

帰り道、リオンは考えていた。

今回の件で、一つはっきりしたことがある。
 この世界の魔法陣は、経年劣化する。刻印は摩耗する。石板は脆くなる。

前世のハードウェアと同じだ。
 どんなに優れたサーバーも、いつかは壊れる。ディスクは摩耗し、メモリは劣化し、電源は焼ける。ソフトウェアのパッチでは対処できない。物理的な交換が必要だ。

この世界の魔法陣も——いつか、すべてリプレースが必要になる。

でも、それをできる技術者がいない。
 古代魔術師の知識は失われている。現代の魔術師は、既存の魔法陣を「なんとなく動かしている」だけだ。石板を新しく作り直す技術を持つ者は——。

「腕のいい鍛冶師か……」

リオンは呟いた。

【診断】で構造は読み取れる。設計図は起こせる。でも、それを物理的に刻む技術は、リオンにはない。

必要なのは、パートナーだ。
 自分の診断結果を正確に形にできる、腕のいい職人。


ルーンフェル村に戻ると、日が傾きかけていた。

リオンは自室に戻り、壁に背をつけて座った。

応急処置はできた。でも、根本解決には程遠い。
 ルーンフェル村の水浄化魔法陣は設定変更で対処できた。ソフトウェアの問題だった。でもグランメルの農地魔法陣はハードウェアの問題だ。パッチでは直せない。

「これからは、こういう案件が増えるな……」

一人じゃ無理だ。前世でも、設計はできてもサーバーのラッキングは別チームがやっていた。システム全体を一人で完結させることはできない。

「鍛冶師……か」

東の山麓の町。腕がいいという噂。魔道具の修理もできる。

もしそういう職人と組めれば——リオンが診断して設計図を起こし、職人が刻印を刻む。チームで対応すれば、リプレース案件にも対処できる。

定時で帰りたい。
 一人で抱え込みたくない。
 だから——仲間が、いる。


翌日。
 リオンは自室の机に向かい、昨日の作業内容を巻物に書き起こしていた。

グランメル村農地魔法陣 障害報告書。

症状: 農作物の収穫量が3年前から継続的に低下。
 原因: 魔法陣刻印の経年摩耗による処理効率の低下。
 対処: 魔力ルーティングの縮退運転による応急処置を実施。土壌養分調整を最優先とし、水分分配と害虫忌避の機能を縮小。
 根本対策: 石板のリプレースが必要。適切な石材の調達と、精密刻印が可能な職人の確保が前提条件。
 備考: 同様の経年劣化は辺境一帯の魔法陣で発生している可能性が高い。今後、類似案件の増加が見込まれる。

「……手順書と障害報告は、書いておかないとな」

誰かに引き継ぐためではない。まだ引き継ぐ相手もいない。
 でも、記録を残す習慣は、前世で叩き込まれた。

ドキュメントのない仕事は、仕事じゃない。
 九条諒は、そう信じて死んだ男だ。

リオンは巻物を巻き終え、棚に並べた。
 水浄化魔法陣の報告書と、農地魔法陣の報告書。まだ2本しかない。でも、これが積み重なっていけば、いつか誰かの役に立つ。

窓の外では、夕陽がゆっくりと沈んでいく。

どこかに——腕のいい鍛冶師がいるなら。

リオンは、まだ見ぬその職人のことを考えながら、静かに目を閉じた。


【あとがき】
ソフトウェア障害とハードウェア障害の違い。設定変更で直せない「物理的な老朽化」に初めて直面する回です。パートナーの必要性が見え始めました。

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