第五防壁の修復現場。
リオンは魔力回路の接続部を確認していた。
「ここの魔力パスが劣化してる。エルナ、予備パーツを」
その瞬間、爆発音。
防壁の一部が、突然崩壊した。
「リオンさん!」
エルナの叫び声。崩れた石材がリオンの方に降り注ぐ。
リオンは身を守ろうとしたが、間に合わなかった。
石材が肩に直撃する。
「っ!」
激痛。リオンは地面に倒れた。
「リオンさん! リオンさん!」
エルナが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!」
「肩が」
リオンは呻いた。肩から血が流れている。骨は折れていないようだが、深い裂傷だ。
「すぐに治療魔法を」
エルナが魔力を練ろうとしたが、リオンが止めた。
「待って。君の魔力は防壁の修復に使って」
「でも」
「僕は大丈夫。後で治療してもらうから」
その瞬間、リーティアの声が響いた。
「管理者、負傷を検知。治療が必要」
「リーティア?」
「待機せよ。今から治療を開始する」
リオンが言い終わる前に、第五防壁から魔力が流れ出した。淡い青色の光が、リオンの肩を包み込む。
治療魔法。高度な治療魔法。傷がみるみる塞がっていく。
エルナが驚いた声を上げた。
「リーティアさん、防壁の魔力を使ってるんですか!」
「肯定」
リーティアの声が、冷静に響いた。
「第五防壁の予備魔力を転用。管理者の治療に使用」
「でも、防壁の魔力を勝手に」
「管理者の損失は、システム運用上、最大のリスク要因」
リーティアは淡々と続けた。
「管理者の損失回避は最優先タスク」
「……これは、合理的判断だ」
治療が完了した。リオンの肩は完全に治っていた。
「ありがとう、リーティア」
「礼はいい。管理者の稼働率維持は私の役割だ」
リーティアの声がほんの少しだけ揺れた。
「別に、心配したわけではない」
「そう?」
「ああ。ただ、システムの安定稼働のため、管理者の健康は必須条件だ」
「わかった」
リオンは微笑んだ。
「ありがとう、リーティア」
リーティアの声が少しだけ明るくなった。
「管理者は無理をしすぎだ。もっと自分を大切にしろ」
「うん。気をつける」
その夜、リオンは中枢魔法陣の前に立っていた。リーティアの投影体が、静かに揺れている。
「リーティア。今日はありがとう」
「既に礼は聞いた」
「でも」
リオンは真剣な目でリーティアを見た。
「君が助けてくれなかったら、僕は動けなくなってた。防壁の修復が遅れて、都市全体が危険に晒されてた」
「それは計算に含まれていた」
リーティアは静かに言った。
「管理者が負傷、作業効率低下、復旧遅延、システム全体のリスク増大。だから管理者の治療を優先した。これは合理的判断だ」
リオンは少し笑って言った。
「本当に、合理的判断だけ?」
リーティアの投影体が、少し揺れた。
「何が言いたい」
「君、僕のこと心配してくれたんじゃないの?」
「していない」
リーティアは即答した。
「私はシステムだ。感情はない。ただデータに基づいて最適な判断をしただけだ」
「そう」
「ああ」
リーティアは視線を逸らした。
「管理者が負傷したとき、少しだけ処理速度が低下しただけだ」
「処理速度?」
「ああ。エラーではない。ただの一時的な不具合だ」
リオンは、リーティアを見た。彼女の金色の目が少しだけ揺れている。
「リーティア」
「なんだ」
「君はもう、ただのシステムじゃないよ」
「感情がある。心配する気持ちがある」
リオンは微笑んだ。
「それは人間と同じだ」
「違う」
リーティアは首を振った。
「私はシステムだ。古代魔術師が作った、ただの管理プログラムだ」
「でも」
「感情なんてない。ただ」
リーティアの声が、震えた。
「……管理者がいなくなったら、また一人になる」
リオンは、リーティアの言葉に静かに耳を傾けた。
「数百年、ずっと一人だった」
リーティアの声が、静かに響いた。
「管理者がいない。誰も私に命令しない。誰も私と話さない。だからただ、最低限の自動運用を続けていた。動き続けることしかできなかった」
リーティアの投影体が、揺れた。
「でも管理者が来た。数百年ぶりに、誰かが私と話してくれた」
リーティアはリオンを見た。
「管理者は私を『リーティア』と呼んでくれた。システムじゃなく、名前で呼んでくれた」
リーティアの声がほんの少しだけ震えた。
「……だから、管理者がいなくなったら、また一人になる」
「それは嫌だ」
リーティアは、はっきりと言った。
「私はもう、一人は嫌だ」
「リーティア」
「だから管理者が負傷したとき、処理速度が低下した」
リーティアは視線を逸らした。
「それは感情ではない。ただのエラーだ」
「そうかな」
リオンは微笑んだ。
「僕には君の『心配』に聞こえたけど」
リーティアの投影体が、少し明るくなった。
リオンは、リーティアに近づいた。
「リーティア。僕は君を一人にしない。これからも毎日、ここに来る」
「定期メンテの時間は守るのか」
「守る」
リオンは頷いた。
「君と話すのは僕にとっても大切な時間だから」
リーティアの金色の目がほんの少しだけ潤んだように見えた。
「管理者」
「ん?」
「……ありがとう」
リオンは驚いた。
「リーティア、今」
「何も言っていない」
リーティアは即座に否定した。
「データの記録にも残っていない」
リオンは笑った。
「わかった。記録にないなら、僕の聞き間違いだね」
「ああ」
リーティアの投影体がほんの少しだけ明るくなった。
翌朝、エルナがリオンの肩を確認した。
「本当に治ってる。リーティアさんの治療魔法、すごいですね」
「うん。高度な治療魔法だった」
「でも」
エルナは少し心配そうに言った。
「リーティアさん、防壁の魔力を無断で使ってましたよね」
「まあ、緊急時だったから」
「でも、もし、その瞬間に防壁が攻撃されてたら」
「うん。リスクはあった」
リオンは頷いた。
「でもリーティアは、そのリスクを計算した上で僕を治療してくれた。彼女なりの判断だったんだと思う」
エルナは、少し複雑そうな顔をした。
「リーティアさん、リオンさんのこと」
「ん?」
「大切に思ってるんですね」
「どうだろう」
リオンは少し照れた様子で言った。
「彼女は『合理的判断だ』って言ってたけど」
「でもあれ、絶対に合理的判断じゃないですよ」
エルナは断言した。
「感情です。心配してるんです」
「そうかな」
「そうです」
エルナは少し寂しそうに笑った。
「リーティアさん、ずるいですね」
「え?」
「実体がないから、リオンさんの隣にいられる時間、長いじゃないですか」
リオンは、エルナを見た。
「エルナ?」
「何でもないです」
エルナは首を振った。
「ただ、リオンさん、もっと自分を大切にしてください。リーティアさんだけじゃなく、あたしも心配してるんですから」
「ありがとう、エルナ。気をつける」
その日の午後、アルヴィスがリオンを呼んだ。
「リオン。リーティアが防壁の魔力を無断使用した件、報告を受けた。処罰が必要かと上層部が騒いでいる。お前の意見を聞きたい」
リオンは少し考えて答えた。
「処罰は不要です」
「理由は」
「リーティアの判断は結果的に正しかった」
リオンは真剣な目でアルヴィスを見た。
「僕が負傷したまま作業を続けていたら、もっと大きなミスをしていたかもしれない。リーティアはシステム全体のリスクを計算して、最適な判断をした」
「合理的判断というわけか」
「はい」
リオンは頷いた。
「彼女はシステム管理者として、正しく機能しました」
アルヴィスは少し笑った。
「お前、リーティアを庇っているな」
「そんなこと」
「いや、いい」
アルヴィスは手を振った。
「お前の判断を信じる。処罰はなしだ」
「ありがとうございます」
「ただし」
アルヴィスはリオンを見た。
「お前も、もっと自分を大切にしろ。倒れられたら王国のインフラが止まる。お前は今、王国で最も重要な人材だ。自覚しろ」
「わかりました」
その夜、リオンは再びリーティアの部屋を訪れた。
「管理者。本日の稼働率、96.8%。良好」
「ありがとう、リーティア」
「管理者」
「ん?」
「今日、上層部から私の処罰について問い合わせがあった」
「知ってる」
「管理者が庇ってくれたと聞いた」
「当然だよ」
リオンは微笑んだ。
「君の判断は正しかったから」
リーティアの投影体が、少し揺れた。
「管理者は優しすぎる」
「そう?」
「ああ。だから無理をする」
リーティアは真剣な目でリオンを見た。
「もっと自分を大切にしろ。管理者が倒れたら、私はまた一人になる」
リーティアの声が、震えた。
「それは、嫌だ」
リオンは、リーティアに近づいた。
「わかった。約束する」
「約束?」
「もっと自分を大切にする。無理をしない。君がいつも見ていてくれるから」
リーティアの金色の目がほんの少しだけ明るくなった。
「管理者」
「ん?」
「定期メンテの時間、守ってくれ」
「守るよ」
「毎日」
「毎日」
リオンは微笑んだ。
「約束する」
リーティアの投影体がほんの少しだけ明るくなった。
「了解した」
「……管理者。ありがとう」
「今、また言った?」
「データに残っていない」
リーティアは視線を逸らした。
「管理者の聞き間違いだ」
「ふふ。そうだね」
リオンは笑った。
窓の外、王都の夜景が広がっている。中枢魔法陣が、静かに輝いている。
リーティアは数百年ぶりに、一人ではなくなった。管理者がいる。毎日、話してくれる人がいる。それは彼女にとって、何よりも大切なことだった。
「管理者の損失回避は最優先タスク。……これは合理的判断だ」
そう言いながら、彼女の心の中には確かに感情があった。心配。安心。そして——大切に思う気持ち。
それはもうシステムではなく、人間と同じ心だった。
**あとがき**:「合理的判断」と言い張りながら処理速度が落ちるリーティアに、AIと感情の境界が滲む第59話。数百年の孤独を経て「一人は嫌だ」と言い切れるようになった彼女の変化が、最大の見どころです。