S03-P01 異世界SLA99.99% ~元SEは今日も魔法インフラを落とさない~

第60話: 定時で帰れない

第4アーク · 4,796文字 · revised

魔術局の時計が、深夜三時を指していた。

リオンは羊皮紙に埋もれた机で、また一つインシデントレポートを書き終えた。

「今日で、連続十四日目か」

呟いて、頭を抱える。

開戦から二週間。帝国の攻撃は止まらなかった。昼間は通信魔法陣への干渉。夜間は防壁への魔力飽和攻撃。早朝は水浄化魔法陣への破壊工作。パターンを変え、場所を変え、手法を変えて、帝国は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。

「管理者。報告だ」

リーティアの投影体が現れた。

「第三防壁に異常魔力パターンを検知。DDoS的飽和攻撃の兆候」

「わかった。エルナを呼んで」

「エルナは現在、第一防壁の修復作業中。推定完了時刻、あと二時間」

「セラフィーナは?」

「王都南区の通信魔法陣で脆弱性診断実施中。こちらも推定完了時刻、あと一時間」

「じゃあ、僕が行く」


王都の夜風が冷たい。

第三防壁の魔法陣は、王都東区の地下にある。リオンは眠気と戦いながら階段を降りた。

「【診断(ダイアグノーシス)】」

魔法陣の状態が見える。魔力の流れが異常だった。

「これ、飽和攻撃じゃなくて、入力パスを狙った集中攻撃だ」

前回の対処法が通用しない。帝国は学習している。

「くそ。手順書を更新しないと」

リオンは懐から羊皮紙を取り出し、対処手順を書き始めた。疲労で手が震える。文字が歪む。

対処が終わったのは、夜明け前だった。リオンは魔術局に戻ると、机に突っ伏した。

「前の世界と、同じだ」

鳴り止まないアラート。終わらない障害対応。削られていく睡眠時間。定時で帰る。そんな当たり前のことが、もう二週間できていない。

「約束したのに」

自分に、仲間に、約束したのに。「定時で帰る」。「一人で抱え込まない」。「無理をしない」。でも戦争は、そんな約束を許してくれない。


「リオンさん!」

エルナの声で目が覚めた。

「エルナ? 第一防壁の修復は」

「終わりました。でもリオンさん、また寝てないんですか!」

エルナの緑の目が、心配と怒りで揺れていた。

「いや、これは仮眠で」

「仮眠じゃありません! 三時間前に第三防壁の対処してたの、知ってます!」

「リーティアが告げ口したな」

「告げ口じゃなくて、報告です」

エルナは羊皮紙の束を抱えて、リオンの机に座り込んだ。

「リオンさん、このままじゃ倒れます」

「大丈夫。前の世界でも三日徹夜とかやってたから」

「その結果、どうなったんですか」

エルナの声が、静かに響いた。

リオンは黙った。前世の最期。サーバールームで倒れた記憶が、鮮明に蘇る。終わらない障害対応。鳴り止まない携帯。削られていく体力。そして意識が途切れる瞬間の、後悔。

「ごめん」

「謝らないでください。謝るくらいなら、ちゃんと休んでください」

エルナはリオンの顔を覗き込んだ。

「リオンさんが倒れたら、私たち全員困ります。だから定時で帰ってください」

「でも、帝国は待ってくれないんだ」

「知ってます。でも」

エルナは真剣な目で言った。

「リオンさんが倒れたら、意味がないんです」


その日の昼、ミーナが魔術局に現れた。

「リオンさん、昼ごはん持ってきました!」

「ありがとう、ミーナ。でも今、ちょっと手が離せなくて」

「手を離してください」

ミーナは珍しく強い口調で言った。

「昨日も、一昨日も、その前も、リオンさんまともにご飯食べてないでしょう」

「たぶん」

「たぶんじゃなくて、食べてないんです。リーティアさんから報告受けてます」

ミーナは羊皮紙の束を避けて、スープの椀を机に置いた。

「食べない人に、仕事する権利はありません」

「なんだそのルール」

「今決めました」

ミーナは微笑んだ。

「食べて、リオンさん」

スープを口に運ぶと、温かさが体に染み渡った。

「美味い」

「でしょう? あたし、料理だけは自信あるんです」

ミーナは椅子に座って、リオンを見つめた。

「ねえ、リオンさん。このままじゃ、本当に倒れますよ」

「わかってる」

「じゃあ、なんで無理するんですか」

「僕がやらないと、誰も」

「います」

ミーナは即答した。

「エルナさんがいます。セラフィーナさんがいます。アルヴィス局長もいます。リーティアさんもいます。そして、あたしもいます」

「でも」

「リオンさんは、前の世界で一人だったんですよね」

ミーナの声が、優しく響いた。

「でも今は違います」


夕方、セラフィーナが報告に来た。

「王都南区、脆弱性診断完了。重大な問題は三箇所。詳細はここに」

セラフィーナはリオンの顔を見て、眉をひそめた。

「リオン。顔色が悪い」

「自覚はある」

「休め」

「休めないんだよ。帝国の攻撃が」

「私たちがいる」

セラフィーナは冷静に言った。

「リオン、お前が全部やる必要はない」

「でも」

「お前が倒れたら、誰が全体を見る?」

セラフィーナの琥珀色の目が、リオンを見つめた。

「お前の仕事は、全部を把握して指示を出すこと。現場対応じゃない。だから休め。それが、お前の仕事だ」


深夜、リオンは一人でリーティアの部屋を訪れた。

「管理者。報告だ。本日のインシデント、七件。うち重大」

「リーティア。一つ聞いていい?」

「なんだ」

「僕、ちゃんとできてる?」

リーティアの投影体が、わずかに揺れた。

「質問の意図が不明だ」

「みんな、疲れてる。エルナもセラフィーナもアルヴィス局長も、みんな限界が近い。でも僕は止められない」

リオンは拳を握った。

「前の世界と同じだ。仕事を優先して、大切な人を壊してる。だから聞きたいんだ。僕のやり方、間違ってる?」

リーティアは少し間を置いて、答えた。

「管理者の判断は、論理的には正しい」

「でも?」

「人間は、論理だけでは動けない。そう、管理者が教えてくれた」

リーティアの金色の目が、リオンを見た。

「管理者。提案がある」

「なに?」

「交代制を敷け」

リオンは目を見開いた。

「交代制?」

「現在の体制は全員が全時間対応している。これは非効率だ。冗長構成を人員にも適用すべきだ」

「管理者が昼、エルナが夜、セラフィーナが深夜。三交代で監視と対応を回せば、全員が休息時間を確保できる」

リーティアは淡々と続けた。

「管理者が倒れたら、システム全体が停止する。それは最大のリスク要因だ」


リオンは、ゆっくりと息を吐いた。

「そうか。人員も、冗長化すればいいのか」

「そうだ」

「なんで、それに気づかなかったんだろう」

「管理者は疲労している。判断力が低下している。だから私が提案した」

リーティアは小さく頷いた。

「これは、合理的判断だ」

「ありがとう、リーティア」

「別に。システムの安定稼働のためだ」

リーティアの投影体が、わずかに明るく輝いた。

翌朝、リオンはチーム全員を集めた。

「これから、交代制を敷きます」

全員が驚いた顔でリオンを見た。

「今の体制は持続可能じゃない。全員が疲弊して、いつか誰かが倒れる」

リオンは羊皮紙を広げた。

「だからシフトを組みます。昼は僕とアルヴィス局長。夜はエルナとミーナ。深夜はセラフィーナとリーティア」

「リオンさん、深夜は」

「僕は入りません」

リオンは即答した。

「僕が倒れたら全体が止まる。だから僕はちゃんと休みます」

エルナが驚いた顔で言った。

「リオンさん、それ本気ですか?」

「本気だよ。前の世界で、僕は大切なものより仕事を優先してすべてを失った」

リオンは全員を見た。

「今回は違う。仕事もみんなも両方守る。そのために、無理はしない。倒れたら意味がないから」

リオンは微笑んだ。

「前世で学んだことだ」


アルヴィスが口を開いた。

「リオン。それでいい」

「局長」

「私も、昔は一人で全部やっていた。だがそれでは、いつか必ず限界が来る」

アルヴィスはリオンの肩に手を置いた。

「お前は賢い。自分の限界を認められる。それがお前の強さだ」

「ありがとうございます」

「礼はいい。シフトを回すぞ」

その夜、リオンは三日ぶりに工房のベッドで眠った。魔術局を離れる。通信魔法陣は持っているが、深夜シフトのセラフィーナを信頼して目を閉じた。

不安だった。前の世界では、常に携帯が鳴る恐怖で眠れなかった。でも今は一人じゃない。エルナがいる。セラフィーナがいる。ミーナがいる。アルヴィス局長がいる。リーティアがいる。みんなが支えてくれている。

リオンは、深く眠った。


朝、リオンは八時間ぶりの睡眠から目覚めた。体が軽い。頭がクリアだった。

「そうか。これが、休息か」

通信魔法陣を確認する。深夜のインシデント、二件。セラフィーナが対処済み。

「大丈夫だったんだ」

安堵と、少しの寂しさ。自分がいなくても回る。それが本当の意味での安定稼働。

魔術局に出勤すると、エルナが笑顔で迎えた。

「リオンさん、おはようございます! 今日は顔色がいいですね!」

「八時間寝た」

「すごい! リオンさんが八時間寝るなんて!」

エルナは本気で驚いていた。

「いや、そんな驚くことじゃないだろ」

「驚きます。この二週間、リオンさんが三時間以上寝たこと、一度もなかったんですから」

「そうだったかな」

「そうだったんです」

エルナは真剣な顔で言った。

「だからこれからも、ちゃんと寝てください」

昼、ミーナが報告に来た。

「リオンさん、交代制の評判、いいですよ。みんな、安心して休めるって。誰かが見ててくれるから、って」

ミーナは微笑んだ。

「これが、リオンさんが言ってた『冗長化』なんですね」

「うん。人間も、魔法陣も、同じだ。一人に頼らない」

リオンは頷いた。

「それがずっと動き続けるための秘訣だから」

夕方、セラフィーナが深夜シフトの準備をしていた。

「リオン、昨夜のインシデント、対処手順を更新しておいた」

「ありがとう」

「お前の手順書、よくできてる。あれがあれば、誰でも対応できる」

セラフィーナは羊皮紙の束を渡した。

「だから安心して休め」

「うん」

「それと」

セラフィーナは少し間を置いて、言った。

「私、初めてチームで働くのが楽しいと思った」

「帝国では、いつも一人だった。でもここは違う」

セラフィーナの琥珀色の目が、穏やかだった。

「だからお前が倒れたら困る。ちゃんと休め」

深夜、リオンはまたリーティアの部屋を訪れた。

「管理者。シフト外の時間だ。なぜここに」

「ちょっと気になって」

「深夜シフトはセラフィーナが担当だ。管理者は」

「わかってる。でもやっぱり心配なんだよ」

リーティアは少し間を置いて、言った。

「管理者。それは信頼の欠如か?」

「違う。信頼してる。でも」

リオンは窓の外を見た。

「前の世界で、僕は全部一人で抱えて失敗した。だからまだ、怖いんだ」

リーティアの投影体が、リオンの隣に現れた。

「管理者。データを示す」

「なに?」

「交代制導入後、インシデント対応速度、平均23%向上。対処ミス、ゼロ。チーム全体の疲労指数、推定40%低下」

「つまり管理者の判断は正しかった」

リーティアは静かに続けた。

「管理者が休むことで、システム全体が安定した。これは合理的な結果だ。だからもう、一人で抱える必要はない」

リーティアの金色の目が、優しく光った。

「私たちがいるから」

リオンは深く息を吐いた。

「ありがとう、リーティア」

「礼はいい。これはシステムの安定稼働のためだ」

「本当に?」

リーティアの投影体が、わずかに揺れた。

「……管理者が、心配だから」

「うん。ありがとう」

リオンは微笑んだ。一人じゃない。前の世界と今は、違う。

工房への帰り道、リオンは星空を見上げた。

定時で帰る。それがまた少しずつできるようになってきた。完璧じゃない。まだ無理をすることもある。でも前よりは、良くなってる。

「前世の自分に、伝えたいな」

呟いた。

「一人で全部やらなくていいんだよ、って。信頼できる仲間がいれば、無理しなくても守れるんだよ、って」

風が吹く。

リオンは前を向いて、歩き出した。


**あとがき**:「人員の冗長化」というリーティアの提案が光る第60話。前世で過労死した男が交代制を敷く決断に至るまでに、エルナ・ミーナ・セラフィーナ全員が背中を押す構成です。

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