サプライチェーン攻撃から三週間。
復旧作業は着実に進んでいた。百五十箇所、全体の七割が稼働を取り戻した。
だが問題は終わっていなかった。
「リオンさん、問題です」
ミーナが深刻な顔で報告に来た。
「国産素材が足りなくなります」
リオンは資料を見た。現在の在庫は残り二十箇所分。必要数はあと五十箇所分。三十箇所分が足りない。
「ドルクさんからの供給は続いてますが、需要に追いついてません。現在の生産ペース、週に十箇所分。必要なペースは週に二十箇所分です」
「倍、足りないのか」
「そうです」
リオンは通信魔法陣を起動した。辺境のドルクの鍛冶場へ繋ぐ。
『ドルクさん、聞こえますか』
しばらくして返信が来た。ドルクの声は疲れていた。
『ああ。リオンか』
『素材の件、ミーナから聞きました。生産ペースを上げるのは難しいですか?』
沈黙が続いた。
『無理だ。今、俺と鍛冶師仲間五人で総出で作ってる。これ以上のペースは物理的に不可能だ』
通信が切れた後、リオンは地図を見つめた。国産素材の供給が間に合わない。このままでは復旧が止まる。王都の鍛冶ギルドは帝国との癒着疑惑があり信頼できない。他国からの輸入は戦時下で物流が停止している。残る選択肢はなかった。
前の世界でも同じ問題はあった。必要なハードウェアが手に入らない。納期が間に合わない。代替品がない。そんなとき、優先順位をつけて重要なものから配分する。全部は救えないから、救えるものから救う。
その夜、工房で一人考え込んでいると、ドルクの声がした。
「リオン」
振り返ると、ドルクが工房の扉に立っていた。
「ドルクさん! どうしてここに!」
「話がある。辺境から三日かけて来た」
「三日も!」
「通信じゃ伝わらないことがあるからな」
ドルクは鞄から何かを取り出した。魔法陣用の刻印板だった。ただの刻印板ではない。精密に加工され、美しい輝きを放つ職人の手による一級品。
「これは」
「俺の備蓄だ」
ドルクは静かに言った。
「十五年前から少しずつ作り溜めてきた。予備の予備、万が一のための備蓄だ。全部で五十箇所分ある」
リオンは息を飲んだ。五十箇所分の素材。その価値は金ゼルにして数千枚。職人が十五年かけて蓄えた財産を無償で差し出すという。
「どうして、そこまで」
「予備の予備を用意するのは、職人の基本だ。いつか必要になると思って作り溜めてきた。今がその時なら、使う。それだけだ」
リオンは深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「頭を上げろ。礼はいい。それより配送の段取りを決めよう」
翌朝、ミーナが配送計画を立てた。
「ドルクさんの備蓄五十箇所分を三回に分けて運びます。第一便は王都周辺の緊急度が高い箇所へ二十箇所分。第二便は辺境の孤立している村へ二十箇所分。第三便は残り十箇所分を予備として王都に保管します」
「ただし問題があります。帝国軍が王都周辺を封鎖していて通常のルートは使えません。迂回して山道を使いますが、第一便で五日、第二便で七日かかります」
「遅い。でも安全なルートはそれしかないんだな」
「はい」
五日の間にまた魔法陣が停止するかもしれない。村が襲撃されるかもしれない。だが輸送中に素材を失ったら元も子もない。
「安全第一だ。その計画で行こう」
第一便が出発した。ドルクと護衛の兵士三名。馬車に積まれた素材は二十箇所分。
「気をつけてください」
「ああ。必ず届ける。リオン、お前も無理するなよ。倒れたら意味がないからな」
ドルクは微笑んで馬車を走らせた。
出発から二日後。予定では今日、第一便が最初の配送地点に到着するはずだった。リオンは通信魔法陣の前で待っていたが、時刻はすでに夕方で連絡がない。不安が胸をよぎった瞬間、通信魔法陣が光った。
『リオン、聞こえるか』
『ドルクさん! 無事ですか!』
『ああ。第一配送地点、ブラント村に到着した。素材は無事だ。これから配布を始める』
リオンは安堵の息を吐いた。
第一便は成功した。二十箇所分の素材が王都周辺の村々に届けられ、復旧作業が再び加速する。
「リオンさん! ブラント村、防壁復旧完了です!」
「ミルデ村も!」
「カーレン村、通信魔法陣が復旧しました!」
報告が次々と届いた。
第二便が出発したのは第一便帰還の翌日だった。今度は辺境の孤立している村々へ。エルナが心配そうに尋ねた。
「ドルクさん、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。山道は慣れてる。それに待ってる村がある。届けないとな」
第二便が出発してから三日後、通信が入った。
『リオン、ドルクだ。問題がある。山道が崩れてた。迂回するが、予定より三日遅れる』
リオンは拳を握った。その間に村々は防壁が停止したまま魔獣の脅威に晒される。だがドルクは全力で届けようとしている。
『無理しないでください。安全第一です。素材もドルクさんも無事に帰ってきてください』
六日後、予定より三日遅れで第二便が帰還した。ドルクは無事だった。素材も全部届けられた。馬車から降りたドルクが少しよろけた。
「大丈夫ですか!」
「大丈夫だ。ちょっと疲れただけだ」
ドルクは苦笑した。
「山道が崩れてて迂回するのに三日余計にかかった。馬も人も限界だった。でも届けられた。辺境の村々、防壁が復旧したって通信が来た」
「間に合ったんですね」
「ああ。間に合った」
その夜、リオンとドルクは工房で酒を酌み交わした。
「ドルクさん、本当にありがとうございました」
「礼はいい。それよりお前、ちゃんと休んでるか」
「はい。交代制、守ってます」
「そうか。なら、いい」
リオンは真剣な目で尋ねた。
「どうしてそこまでしてくれるんですか。十五年かけて蓄えた素材を全部無償で提供して、命がけで配送して」
ドルクは少し考えて答えた。
「お前が困ってたからだ。職人ってのは、必要なものを必要なときに届けるのが仕事だ。今、お前が必要としてる。なら届ける。それだけだ」
「それに」とドルクは杯を置いた。「お前、前の世界で言ってたろ。『予備を用意しろ』って。俺も同じことを考えてた。予備の予備を用意するのは、職人の基本だ」
リオンは深く頭を下げた。
第三便、最後の十箇所分は予備として王都に保管された。ミーナが報告した。現在の復旧状況は百八十箇所、残り二十箇所。そのすべてに復旧の目処が立った。ドルクのおかげだった。
一週間後、最後の魔法陣が復旧した。
「リオンさん! 全箇所、復旧完了です! 王都、辺境、すべて稼働率100%です!」
エルナが報告に駆け込んできた。リオンは深く息を吐いた。
「やった」
その夜、リオンは通信魔法陣でドルクに連絡した。
『ドルクさん。報告です。全箇所、復旧完了しました』
『そうか。良かった』
安堵に満ちた声だった。
『ドルクさんの素材が王国を救いました。本当にありがとうございました』
『大げさだ。礼はいい。お前が無事で良かった』
通信が切れた後、ミーナが復旧費用の計算を持ってきた。金ゼル五千枚。ドルクの素材がすべて無償提供だったからこの額で済んだが、市場価格で買っていたら倍以上かかっていた。
「ドルクさんにちゃんと払わないと」
「それが、受け取らないって言ってます。『困ったときはお互い様だ、礼はいい』って」
リオンは少し笑った。
「後で何か別の形で返そう。ドルクさんが困ったとき、今度は僕が助ける」
「それ、いつになるかわかりませんよ」
「いつでもいい。ドルクさんは困らないように予備の予備を用意する人だから」
翌朝、リオンは手順書を更新した。『素材調達フロー 改訂版』。一、国産素材を優先する。二、複数の供給源を確保する。三、予備の予備を常に用意する。これで次は同じ失敗をしない。
その夜、リオンは工房の屋上に立っていた。王都の夜景が美しかった。すべての魔法陣が動いている。防壁が、灯火が、通信が、水浄化が、すべて稼働している。
「守れた」
呟いた。前の世界では予備なんて用意する余裕がなかった。常にギリギリで、常に綱渡りで、そして失敗した。でも今は違う。予備がある。仲間がいる。だから守れる。
風が吹いた。帝国との戦争はまだ続いている。次の攻撃が必ず来る。
「次も守り抜く。一人じゃないから、絶対に守り抜く」
夜空に星が輝いていた。
**あとがき**:十五年分の備蓄を「使え」と即答するドルクの職人気質に、「予備の予備」が単なる運用論を超えて人間関係の信頼に根差していることが沁みる第62話です。